底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

私の価値観

正しいことを書きましょう

笑えない 書きましょうとは書いたが、さて、何を書きましょう。困ったことに最近何も考えていないですからね。別に考えたことだけしか書いてはいけないなんてルールはないですけど、やっぱり考えた実りあるものを書いていきたいじゃないですか。お前程度の頭…

書きましょう

お久しぶりです 書かない人生の方が幸せであるのは言うまでもない。その上で書くことを選ぶのは、つまり自分の幸せなんかよりもずっと大事なものがあるからだ。死を胸中に浮かべるなら、これは誰しもが抱える思いのはずだ。幸せは死によって奪い去られる。だ…

帰ってきました

1 一日でもサボるとダラダラしてやらなくなるから毎日投稿している、と過去の自分が言っていたことが見事的中したというようなこの頃。いよいよ今日から、また本腰を入れていきたいと思います。さすがにこれ以上書かなくなるのは自己嫌悪に陥りそうなので。…

馬鹿は死んでも治らない

1 昨日の今日でなんですが、少し回復しました。自分に関するいろいろを楽しめる視点が徐々に帰ってまいりました。なんでそうなれたのかはたぶん「どうしようもなくなったらどうしよう 」と考えている自分の馬鹿馬鹿しさに気づいたから。どうしようもなくなっ…

人付き合いは難しい

難しい 人付き合いの難しさの原因は色々あれど、 一つの大きな前提として、みんながみんな違う人間だから、というのがあるだろう。何に喜び、何に悲しみ、何に怒りを覚え、何を失礼に思うか、全部が全部人それぞれだから、どんなに自分がが誠意をつくしたつ…

ブログを書き続けることの半分

半々 私がブログを書き続けることの半分は、自分のためである。悔しさや怒りやその他、現実においては消化できない思いを言葉にして発散させている場がここである。だが、全部が全部自分のためというのではない。もちろん、大枠で見れば別である。人は誰だっ…

自分のことは自分で言葉にする

回りくどいと思う 他人よりは自分のことの方がまだ分かる。だから自分のことに、より精力をかけるべきだと個人的には感じる。誰しもがそうすれば、世の中は今よりもう少し生きやすくなるんじゃなかろうか。要するに自分がどうして欲しくて、どうして欲しくな…

本当のことを書きたい

1 本当のことを書きたい。このブログはある意味でそのために作られたとさえ言える。けれど今までに一度も達成したことはない。本当とはそもそも書けるようなものではないからだ。それが書くという行為の限界である。書くことは絶対に自己の内にあるものの再…

今年もやることは変わらないなという話

よかったよかった shikouzakki.hatenablog.com 復活しましたーーー!!イェーーーイ!!!よかった。本当によかった。すっかり回復して、むしろ元気もりもりになりました。昨日まではトイレに起き上がるのも大変だったのに、人間の身体ってすげー。ようわか…

偶然か必然かは自分次第

1 私がこの人としてあることは偶然だ。この人のいかなる性質を持ち出しても、私を表すことはできない。私とこの人の間に必然的な結びつきは何もない。ただ現状として、「なぜか」私はこの人であり、他の人ではなかっただけである。別に他の人が私でもよかっ…

常識はかつて常識ではなかった

生活がよりよくなるサイクル 時代を通して人の生活がよりよくなっていくサイクルには、何かが問題視される→徐々に改善される→改善されている状態が当たり前になる、というのがあると思う。皆が今まで何の疑いもなく当然のように常識として受け止めていた物事…

長期的なやりたいことについて

1 突発的にやりたいことなら、やりたい!という気持ちの勢いのままにやってしまえるけれど、長期的なやりたいはそうはいかない。それはむしろいつも突発的なやりたいこととの戦いである。突発的な衝動をいかに押さえ込んで、いかに我慢して、いかに打ち消す…

書くことにまだ残されている良さはなんだろう

書くことと話すこと 書くことは話すことに比べて、受け手から送り手に伝わる時間的ラグが大きい。いい意味で言えば、何百年何千年前を超えて届くことさえあるくらいに時間を超える力を持っている。だが逆に言えば、それは今同じ時を生きている人には不向きで…

社会人って誰のことなんだろうか

堂々と書く話じゃないな 前にもどこかで書いた気がするが、私は就活というものをしていない。その理由は単純に働きたくなかったからだ。働きたくないのに、その書類の準備やら面接の練習やらをする気力がどうしても湧かなかった。働いてくれって社会の方から…

奇跡だから人生を悪くないなと思える

悪くない人生 私はこのまま死ぬんだろうか。最期まで今となんにも変わらないで人生の幕を閉じるのだろうか。なんとなくそんな気がする。だって、そうだろうなと既に自分で思っているから。それでも別に悪くないなと思えているから。あと何十年か何年か何ヶ月…

物語と現実の好き嫌い

好き 物語が好きだ。物語には絶対に自分は出てこない。自分はその世界の登場人物ではないのに、神の如き視点で様々なところを覗くことができる。登場人物からは自分の姿も見えないのに、自分はそいつらの心の中さえ手にとるように分かる。その優越感がクセに…

自分のことはそれなりに好き

自分を大切に 自分のことはそれなりに好きだ。もうこの人生で終わってもいいなと思えるくらいには今の自分を気に入っている。自分を好きになったきっかけは全く覚えていないけれど、好きなところなら色々挙げることができる。その中でも一番は、自分のことを…

自分への拘りはない方がいい

1 拘りというのはなければないほどいいのだと思う。それは往々にして自分を苦しめる種にしかならないからだ。拘りの中でうまくやれている時はいい。その時にはむしろ一貫性がありスタイルが確立されていて素晴らしいなどと好評をうけるだろう。しかし人はそ…

キモいのはお互い様

自分は綺麗事をきちんと実践しているという人は今すぐブラウザバック 人間というのは綺麗な存在ではない。うーん主語がデカイな。綺麗じゃない人の方が多いくらいにしておこう。いやこれでも角が立つな。綺麗じゃない人もいるにしよう。ここでの綺麗とは綺麗…

なぜならその方がかっこいいからだ

配慮すると損をする 私は基本的に自己利益をそのままに優先させる人は好きである。少なくとも自己利益でないふりをしながら、その実自己利益を得る気満々であるような人よりは正直でいいと考える。だがひたすらに自己利益だけに純粋であるのも考えものではあ…

自分の中にあるもの外にあるものと悪あがき

自分の中にあるもの外にあるもの 他人は私のお金を盗むことはできるが、私の思考を盗むことはできない。私の家には侵入できるが、私の心には侵入できない。私の肉体は傷つけられるが、私の精神は傷つけられない。自分の外にあるもの、中にあるもの、その区別…

みんなの世界が見たい!という話

聞いてみたい ブログを書く時には、私は大方どの記事に対しても一つの作品を仕上げるつもりで臨んでいる。一部の吐き出さないとやってられない系の記事を除いて、基本的にはこのブログを一度も訪れたことがない人にでも楽しんでもらえるような記事作りを目指…

感動はしたいししたくない

感動 何かの作品や誰かの言動によって、自分の核のようなものを強制的に変えられた、というほどの感動を味わったことはあるだろうか。私にはある。だから、私はこの世界が好きだ。それが私の生きる希望であり、生きる動機でもある。自分の奥底を自分ではない…

言葉を書くことは時々恐ろしい

時々恐ろしい 普段は言葉を書くことを好き好んでやっているわけだが、時々とても恐ろしく感じられる時がある。言葉とは相手があるものであり、特にこうしてインターネットに公開しているものは、完全な自己満だとは言い難いく、それ故に他人の読み方に関して…

行き詰まった時は世界に教えを乞う

どうにかしたいと呟く時 何かをどうにかしたいと呟くのは、得てしてそのどうにかしたいものを簡単にはどうにかできない時である。簡単にどうにかできるのなら、ただ単にどうにかすればいいのだから、どうにかしたいと言葉にされる以前に既に行動に移している…

比較によって生まれる価値は比較によって失われるという当たり前

比較による価値 比較されないと分からないよさというのはある。自分の「得意」なんかがそうで、他人と比べるのでなければ当然秀でているのだとは分からない。劣っているもの、普通なものがあって、それらを引き立て役とした時に初めて価値を持つ。そのものの価…

大丈夫、だって私人間だもの

自信がない 私には自信などというものはさらさらない。ブログ名からも分かる通りに多くの場合に卑屈で、自分は本当に何もできないなと常々実感している。それでもその卑屈さに殺されず、自信のなさに絶望せずになんとかここまで生きてこられたのは、偏に私が…

距離を置く必要と罪悪感

距離は大事なんだけど… 何事にも距離が必要である。近ければ近いほどよいというものでははない。近づきすぎれば全体像を掴むのが難しくなり、そのものを正確に把握することが出来なくなったり、そのものをするために必要な日常生活の方が疎かになってしまう…

ブログは勢いに任せて出すべし

1 自分のブログはまじまじと読むもんじゃないと思う。特に出来上がって出す直前なんか絶対にやってはいけない。こんな文章本当に出す価値あるか?と冷静な自分が必ず横切ってしまうからだ。読めば読むほどに、詰めが甘いと感じるところや言い回しが気に入ら…

大人が忘れてしまうこと

ブログを書く一つの理由 私がブログを書く一つの理由には、もっと若かった頃の私がまさにこういうものを読みたかったということがある。子供の頃、周りの大人が教えてくれたことはただこの社会を生き抜くのに必要であるばかりで、肝心の世界が存在することの…