底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

精神的底辺とは何かについての私見

暑すぎだろ

久々に晴れてる!気持ちいい天気だなと思ったのもつかの間、部屋を出た時のムッとした暑さに思わず顔をしかめた。今日も仕事である。昨日の疲れがとれていない。使い古した雑巾を更にボロボロにする気持ちでの出勤だ。さて、一日頑張るぞー(棒)今回は底辺の定義について書こうと思う。ブログの名前にしているのだから、本当は最初の記事で書くべきだったのかもしれない。

 

 

底辺とは何か

とりあえず手元の辞書で引いてみた。

てい‐へん【底辺】

① 三角形の頂点に対する辺。三角形で高さを測るために基準にとった辺。二等辺三角形の等辺でない辺。〔数学ニ用ヰル辞ノ英和対訳字書(1889)〕
② 物事の底の部分。特に、社会の下層部。
※日本の思想(1961)〈丸山真男〉I「近代国家の政治理論は〈略〉頂点の制作主体としての君主の役割を、底辺の主体的市民の役割にまで旋回した」底辺とは - コトバンク

 

 

二つの底辺

だいたい多くの人の想像通りの意味だろうと思う。つまりはピラミッドの最下層ということだ。私的には底辺には二つの意味がある。ひとつは辞書にもある通り、社会的におちこぼれであるということ、これについてはもう改めて書く必要を感じない。どんな人のことを指しているのか分からないという人はいないだろう。今回はもうひとつの使いどころについて書きたい。私がブログの名前にしたのも、こちらの意味をふんだんに込めている。

 

 

精神年齢が低い≠精神的底辺

それは「精神的底辺」である。他ではあまり聞いたことは無いが、私は精神にもレベルを設けている。今回はその最下層つまりは底辺について書いていきたい。精神年齢が低いという言葉は耳にすることが多いと思うが、これは私が定義する精神的底辺とは似ても似つかない。精神的底辺には他人は関与していない、他人に迷惑を平気でかけられるとか、わがままとか、そういった類の話ではない。

 

 

精神的底辺とは何か

精神的底辺とはズバリ自分に対して嘘しかつけない人のことである。自分のしたいこと、したくないことを誤魔化し、したいことには才能がない云々と言い訳を並べ、したくない事をした時には、自分を褒め称え、それをして良かったと思いたいが為に、我慢を美徳に変える。本当は自分のしたいことしたくないことがはっきり分かっているのにも関わらず、そこから逃げ続け、逃げるが勝ちといったような今の自分を正当化する都合の良いストーリーを作りあげる。そしてそんな状況に身を置いているのに、少しも改善する意思がなく、妥協した現実を許容している態度をとる。それが私が定義する精神的底辺というものである。

 

 

全部嘘

底辺人間記録とは要するに、私の嘘の記録である。ここにはおそらく何一つ私に関する真実は書かれていない。全部嘘である(ことも嘘である)。

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