底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

食欲だって自己実現欲である

働きたくない…

おはようございます。眠っていないがまた朝が来てしまった。今日から怒涛の四連勤。たかだか四連勤で怒涛なんてつけていたら普通に働いている人に怒られそうだが、普通になれなかった落ちこぼれ基準の話なので大目にみていただきたい…。頭が死んでいて、身支度すらおろそかになっているのに、やはりブログだけは書きたいようである。

 

 

書くことしかできない

 どうして私はこうも書くことに拘っているのだろうか、なぜ私は書き続けるのだろうか、なんの為に私は書いているのだろうか。それらを考える時、私には既に直感している答えがある。それは「私には書くことしかできない」である。先に注意書きとして置いておきたい、私は何も自分の文章のレベルが高いとか、そういうことは思っていない。ただ書くこと以外ができないと言いたいだけである。ここでの「できない」というのは能力の話ではなく、それ以前に気持ちがどうしても他に向かないという意味だ。とにもかくにも私は書きたいのである。書きたい欲が止まらないのだ。

 

 

欲求は全て自己実現

欲求というのは不思議なもので、何が不思議かと言えば、その欲する対象は常に「自分」でしか有り得ないということである。食欲も物欲も出世欲も名誉欲も承認欲も、およそこの世にあるありとあらゆる欲は、全て自己実現欲の一種なのである。食欲は食べている或いは食べた自分を実現したいのであり、承認欲求は他人に認められている自分を実現したいことを意味している。自己実現ではない、ただ対象のみを欲するという状況は原理的に考えられない。何かを欲するということは即ち、それによって自分自身が何かしらの変化をとげることを期待しているのである。何かを食べたいのは美味しさを味わったり満腹感を得たいからであり、他人に認められたいのはその事によって満足感や幸福感を得たいからである。欲は常に自分自身を中心に据えて様々なものを欲しているのだ。何を欲してもその原則が揺れ動くことは無い。

 

 

私はどんな自己を実現したいのだろう

私は書くことによってどんな変化を自分自身にもたらしているのだろう。今のところあまり自覚がない。強いて言うなら書くことによって、自分は書き続けたい人間であると発見したくらいである。生命維持以外のことで一ヶ月弱も続くことなんて、今までの私には全然なかった。こんなに続いているということは私には書くことによって実現したい自己があるという事なのだろう。それがどんな自己なのかはまださっぱり分からないが、もっともっと書き続けることで見えて来るのだろうと思う。とてもその時が楽しみである。 

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