底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

【今週のお題】好きなアイスから考える好きとはそもそも何か?

どういうことなん?

やっと今週のお題が「寿司」から「好きなアイス」に変わった。前回の今週のお題から軽く二週間は経っている、はてなブログにおいての「今週」とは一体何日の事なのか、それとも「寿司」の回が特別に長かっただけなのだろうか。はてなブログ初心者は全然状況を掴めていない。

 

 

私の家には冷蔵庫がありません

さて、「好きなアイス」か。これはまた「好き」の定義から考えねばならないな。そもそも、アイス自体を食べなくなって既に三年くらい経っている。食べなくなったのに大した理由はない、ただ単に家の冷蔵庫を処分したからである。自炊を全くしない私にとって、冷蔵庫はただのアイス保存機に変わり果てていた。野菜など一欠片もなく、一回使っただけの調味料が期限切れの状態で何個も並んでいた。冷蔵庫を買う時に気づくべきだったのだが、買った当初はそれで自炊する気になると思っていた、私は私に期待をし過ぎていた。ただの電気代の無駄やんけ捨てたろと思っていたら、ちょうど一人暮らしを始めるという友人がいたので譲ることにした。だからそれ以来ずっとアイスとは無縁の生活を送っている。もちろん全く食べないというわけではないが、だいたい年に片手で数える程の回数である。そんな私にとって「好きな」アイスとはなんだろうか。

 

 

好きとはなんだろう

一般に人が何かを「好き」という時はどういう時だろうか。ひとつの答えとしてその回数の多さが挙げられる。よく食べるとか、よく聞くとか、よく行くとか、よく一緒にいるとか、頻繁であるということが好きの一つの側面であるのは確かだと思われる。しかしそれだけで判断することはできない。なぜなら、よく食べるわじゃないけど好き、よく聞くわけじゃないけど好き、よく行くわけじゃないけど好き、よく一緒にいるわけじゃないけど好き、という状況は簡単に考えられるからである。それなら、好きの本質とは一体なんなのだろうか。たぶんだがそこに本質などない気がする。好きの形は人の数だけある。好きな理由も好きを表現する手段も、百人いれば百通り存在するだろう。だから「これが好きということだ!」と言えるようなカタはないと思うのだ。

 

 

やっぱり言葉ってすごい

カタはないのだがしかし、ひとつだけ万人に共通することがある。それは「好き」という言葉である。「好き」という言葉は誰にとっても同じ意味であり、誰にとっても同じ響きである。「好き」という言葉を口にすれば、必ずそれは理解される。言葉はやはり偉大である。

 

 

今週のお題「好きなアイス」

私の好きなアイスはパピコのチョココーヒー味である。

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