底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

週五で働けるのは特殊能力

自業自得

もう仕事をやめるっていうのに、ここ最近やたらと出勤をお願いされている。おかげで大忙し。まぁそれも私がやめるから新人の研修をしなきゃいけないせいなんだけれども、だから結局は自分で自分の首を絞めているのであるが、それにしてももう限界が近い。もうすぐ終わるということが今のところ唯一の希望となって、かろうじて私の身体を動かしている。そうでなかったらとっくに家で死んでいる頃である。

 

 

たいていの人は私から見れば超人

週五で働ける、それってどんな特殊能力なんですか?どうしたら身につくものなんですか?私には世の中の働いている人はみんな超人にしか見えない。仕事が大好きという変人のことは一旦わきによけて考えよう。多くの人は仕事はそんなに好きではないはずである。生きていくにはお金がいるから仕方なく、社会の役にはたつが自分の好きではないことをして報酬を貰っている。できれば毎日ぐうたらするか自分の好きなことだけしてたいが、それではいずれ金が底をついて野垂れ死んでしまう。だからまぁしたくないことではあるが、お金が貰えるならやってもいいだろう、そんな感覚が普通ではないだろうか。少なくとも私はそんな感覚で働いていた。しかし、これが普通であるのなら週五で働けるということはやっぱりおかしいではないか。だって生きていく為に働いているのであろう?なのにその生きていることの七分の五を労働に費やすって、それはもはや、働くために生きていることにならないか?完全に手段が目的を喰らっているであろう。生きる為に働いて、その働くために生きてまた働いて…あれれ、おっかしいぞ〜!?

 

 

ありがとうございます

普通に暮らしていくだけでは手に余るような金額を既に手にしていて、仕事が大好きというわけでもない、むしろイヤな部類であるのに、週にある七日のうち五日も、時にはそれ以上さえ捧げられる。これが私にはまったく理解できない。まったく理解できないけれども、そういう人々がいるおかげで世の中というのは回っているのであるから、本当に感謝せねばならない。なんせ大きな声では言えないがこれからニートになろうとしている奴がここにいるのだから…。みんな私みたいになったら世の中とっくにおしまいである。

 

 

私は絶対来るものの方に備えたい

一つの回答として、老後や将来、或いはいざという時の為に備えている可能性は否めない。人生百年時代ですものね。病気や怪我をしたらお金もかかりますもんね。だが、それでもやはり私には理解に苦しむ。老後も将来も怪我も病気もいざという時も人生には訪れないかもしれないが、死は絶対に誰にでも平等に来るのですよ。今この瞬間に死んでも本当にそれで悔いはなくって?

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