底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

ブログと写真が好きな理由

私の趣味

私のプロフィールの趣味欄には書く・読む・歩く・考えるとあるが、それに加えて私にはもう一つ趣味がある。それは写真を撮ることである。今までこのブログの各記事の最後に載せてきた写真は全部自分で撮影したものだ。歩くついでに撮っているみたいなところはあるが、それでも私には写真という媒体を好きと言える明確な理由がある。それはズバリ分かりやすさである。私が何を美しいと思っているか世界をどう見ているかを簡単に人に伝えられる。それが私にとっての写真の魅力である。これはブログという媒体にも共通することである。私には芸術的センスもなければ、創作意欲もまるでない。表現したい世界観もないし、誰かの心を強く動かせるような力もない。音楽や絵などの媒体は才能がない上にどうも性に合わないのである。私のやりたいことは徹頭徹尾自身の記録を残すことにあるようなのだ。ブログと写真はその目的を果たす手段として、かなり優秀であるように思う。受け取る側はただ読みただ見るだけでいいし、実際そこに書かれていること写されていること以上に伝えたいこともこちら側にはない。一目見て「なるほど、これがあなたね」とすぐに分かる。誰が見ても「同じ」であることが大変素晴らしい。記録とはそうあるべきだろう。




手垢まみれの文章を残したい

ブログを書く上で私が気を付けていることがある。それはなるべく引用を使わないことである。誰々が言っていたとか、なんとかの本によるととか、そういった書き方はできるだけ避けるようにしている。なぜなら偏にこのブログは他でもない私の記録だからだ。そのため可能な限りにおいて自分の言葉だけで語りたいのである。私のインプットとアウトプットの間には半端なく時差がある。その日仕入れたものをその日の内に出すなんてとてもじゃないが無理である。早くてもたぶん一か月くらいはかかっているし、出す頃にはすっかり私の手垢がつきまくった言葉になっている。その手垢をこそ私は記録したいのである。




感じ方を残したい

写真のアウトプットも同じで、私はただ私の手垢を通した世界の見方を残したいだけである。だからこそ写真が最もそれに適しているのだ。私は私が感じているそのものを伝えたいのではなく、そのものを感じている私を残したいのである。絵や音楽といった媒体は私にとって前者の色味が強いのだ。私はただ「私はこのように世界を見ています」という記録が残せればそれで満足なのだ。加えて文章(ブログ)と写真のその直接性に私は惚れ込んでいる。単に芸術的なものを楽しむセンスがないだけとも言えるが、私には簡単明瞭・単純明快なものの方が魅力的に映るのである。




感謝感激雨あられ

これからも写真ともども弊ブログを楽しんでいただければ幸いに存じます。いつもお読みくださっている読者様本当にありがとうございます。