底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

人が孤独なのは一番重要な事実を他人に伝えられないから

同一と同質

同じということには二つの意味がある。同一と同質である。量産されているものが最も分かりやすい。量産されているものはどれも同質であれど、同一のものは一つとしてない。同じタイトル同じ表紙同じ内容でも、本屋に売られているそれと私の本棚にあるこれは一つのものではない。それらは同じ質であるけれども、違う個体なのである。こんなの当たり前すぎて、人は普通意識しない。だがこれはとても重要な区別である。なぜなら、人とはまさに同質でも替えの効かない個体だからである。本屋に売られているそれと私の本棚にあるこれが完全に同じ質である時、その違いは私たち人間にとっては、地理的な位置だけになる。つまり、痕跡を残さずに入れ替えれることが可能なら、誰にもその二つの本の区別がてきないということなのだ。これは大変なことである!

 

 

人は同質を区別できない

人にとって自分以外のものは全てそのようにできている。だがたいていの世の中のもの、特に他人というものには同じ質である個体が全くない。だから人はその他人が誰であるかを容易く識別できる。しかし一卵性の双子などに出会う時、その識別の難易度は格段にあがる。それは彼(女)らが限りなく同質だからである。もしふたりが完全に同じ見た目で、同じ趣味嗜好で、同じような考え方や喋り方なら、その区別の仕方は周辺の常識に任せるしか方法がなくなってしまう。例えば、双子Aは〇〇学校に通っていて、〇〇学校の制服は△△柄だから、それを身に纏っているあの子は双子BではなくAの方に違いない、などのように。もし、双子が悪ふざけでその時だけ入れ替わっていたとしても、他人には絶対に分からないのである。だが、双子の視点に立ってみると事態は一変する。双子Aも双子Bも相手と自分を間違うことがないのだ。全く同じ見た目であるにも関わらず!これは偏にふたりが同一の個体でないことに依拠しているのである。

 

 

人の孤独たる所以

自分にとって他人とは常にこの双子の様な状態であり、他人にとっての自分もそうである。私は他人をその質感――前と同じような見た目か同じような喋り方か――で同一かどうかを判断するしかなく、他人もそのようにしてしか私を識別できないのだ。完全に私と同質な人間がいたとしたら、他人はその人間と私とを区別できない。人間の孤独たる所以がここにある。私にとってみれば、それは天と地ほどに違うのに、しかしそのことを他人に伝える手段がないのである。いくら質が違えど同一であれば私は私であり、いくら質が同じであろうと同一でなければそれは私ではない。人生で一番大事な、この判然たる事実を人は互いに共有することができないのである。

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