底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

何かを理解するための二つの方法

内側と外側の理解

何かを理解したり分かったりする方法を、すごーくおおざっぱに分けると二つに分けられる。実際に経験し内側から学ぶか、情報を収集して外側から知っていくかである。どちらの手段をとるべきかは物事の性質によって変わってくるだろう。感覚に頼るしかないようなことは経験がものをいうだろうし、理論などがきちんと確立されているものなら、まずそれを知らないことには何も始まらない。両方必要だということも多くある。情報を知って経験し次のステップに進んでまた知ってを繰り返し繰り返し行っていくことで、それについて詳しくなったり上達したりしていく。




それぞれの難点

経験というのはとても効率が悪い。時間と労力がかかるのは言わずもがな、経験して得たものが正しいのかどうかは、たった一回では結論を出すことができない。何度も何度も同じようにやりきちんと同じ結果が出ると確認がとれて、初めて何かの法則を理解としてそこから抽出できる。情報の元をしっかりと当たり、きちんと正しいと証明されたものと調べがつけばそれでオッケーな外側からの理解と比べると、やはり遥かに遅いし体力も消費する。一方の情報収集の難点は身につかないことである。いくら泳ぎに関する正しい理論を知っていても、泳げるようになるにはやはり経験が必要であるし、知っているからといってそれを肉体に落とし込んで活用できるかはまた別の話である。内側から学んでいく経験に比べるとお手軽ではあるもの、理解度はどこまでも浅いと言わざるを得ない。




経験はしたいことだけにしよう

世の中には経験してみないと分からないことがたくさんある。でも、経験しておいた方がいいというものは何もない。なぜなら、それは個人の価値観が決めるところだからである。自分が何を経験したいか、それに尽きる。人生の時間は限られている。経験は効率が悪い上に結果が不確かなので、なるべくしたいことだけに絞らないと、いらない経験して正しくもない結論に埋もれている間に死んでしまう恐れがある。逆に言えば、したいこと以外は情報収集だけでこと足りる。せっかく先人たちが残してくれたものがあるのだから、知識があればいい程度のことはわざわざ自分でやる必要なんてどこにもないのである。




考えることが大事

経験と情報収集に共通して大事なことが一つある。それはどちらもただするだけではダメということだ。経験も情報収集も考えなければいけない。経験は仮説を立てて次の経験に生かしていくために。情報収集は情報と情報とを繋げそこから見えてくる真実に辿り着くために。考えるという経験、考えて得た情報ほど貴重なものはなく、時にそれらは一生ものの財産になり得るのである。

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