底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

神はいなくてはいけない

神とはなんだろうか

神という言葉を真剣に口にするだけで、忌避される世の中になってしまった。現代はなんだか神はいないのだということを必死に肯定したいように見える。神とはどういう存在であるのかと問われることなく、実態が深堀されないまま、ただただその存在だけが否定されている。私から見れば、なぜそこまで強く神を拒否しようとするのかと疑問であるが、きっとそんな私をこそ世間は奇異な目で見つめるのであろう。神はいないという時、それは何がいないと言われているのか。はっきりと答えられる人は果たしているのだろうか。神がいるのといないのとでは一体何が違うのか。存在の有無を結論付ける前に、人はそれをきちんと知るべきなのではないだろうか。




神を信じていない人はいない

人はなぜ「何かに対してなぜ」と問えるのか。それはそこに不思議を感じているからに他ならない。つまり人間や自分の理に反していることが起きているのである。本来はこうであるはずなのに!という前提に対する強烈な裏切りにあった時にこそ、人は「なぜだ!!!」と問うことができる。そこにはもう神が宿っていると言っていい。こうであるはずの世界が、そうなっていないのに理由はない、それが世界というものだ。で納得できるのなら、人は最初からなぜ!を抱いたりはしない。一度なぜ!を抱いたのなら「何かあるはずだ…なぜに対する答えが何か…」と信じること必至なのである。つまりはそれが神を信じているというそのことだ。




神はいないと思った方がいいこともあるね

災害や惨い事件などが平気で起きている。だから神はいないという人がいる。神がいれば助けるはずであろう、と、そういう理屈なのだろう。随分と人間に都合のいい善良な神を想定しているのだなと私なんかは思ってしまうのだが、こういう純粋な人がいる世の中は偏に素晴らしいですね。その逆に奇跡や運命だとしか思えないような出来事も世界には沢山あるが、それはつまり神がいるということになる…?と言ってみたくはなるけれど。




精神は必ず神に目覚める

神は人間側からの要請物なのではないだろうか。実際にいるとかいないとか言う前に、いなくてはいけない。いないということがどういうことであるのか理解できない。人間にとって神とはそういう存在なのだと思う。自分自身の存在に驚いたり、何かの出会いに感動したり、人間が酷く卑小な存在に見えたり、宇宙にロマンを抱いたり、毎日のご飯が美味しく、ぐっすりと眠れることを幸せに思ったり、今日も生きていられることが嬉しかったり、反対に早く消えたいと死にたくなったり、そういうの全部全部、神がいないと成り立たないんじゃないかなぁ。ただあるだけのものをただあるだけと捉えない、捉えられないのは偏に神がそれを創ったのだと我々が信じているからに他ならないだろう。