底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

思考についての緩い雑談記事

書くことがない(n回目)

困った。今日も書けると思えるものが全然ない。この頃はずっと頭がボーっとしているようだ。キーボードを叩いても叩いても、こんなの全然面白くないと思うような文章になってしまうので、今日も今日とて諦めて素直に何もないということを書いていこうと思う。ここ最近思考する作業を行った記憶がない。今までどんな風に物事を考えていたかも、うまく思い出せない。もしかすると私は生まれてこの方一度たりとも思考などしたことがないのではないかという気さえしてくる。これは気のせいなのか。いや、たぶん違う。厳密に定義するならきっと私は人生で未だかつて思考などしたことがないのだ。

 

 

思考とは何か

一つの問題を捕らえて離さずに、色々な角度からずっとそれを徹底的に追っていく。これが私の思う真の思考である。私が今までの人生でやってきたのはただどこからともなく流れてきた思念を程よく味わっていい感じの結論を出すというだけであり、物事を道筋通りにきちんと辿る、様々な視点から見つめるなんていうことを意識的にした覚えは全くない。思考はそんなおいそれとできるものではないのだと思う。果てしない集中力、一つのことに拘り続けられる執念、決して問題点から迷子になることなく、多くの視点を思いつける頭の良さ。それら全てが必要である。どれを欠いてもきっと思考はできない。思考したことがないので確証はありませんが。

 

 

思考と現実の関係

思考なんて能力は別に普通の生活には全然必要ない。むしろ思考できない方がよいということさえ、たくさんあるのではないかと思う。自分の思いなんかがその典型で、分析し出したらきっと底のない沼に落とされるだけである。思考には終わりがない。考えようと思えばいくらでも緻密に広範に考えられるからだ。そのために決して現実に着地することがないのである。逆に言えば着地したのなら、それは必ず半端な現段階においてのとりあえずの結論でしかないということだ。

 

 

分からない

どうしたら思考できるようになるのか。私はそれを全く知らない。天賦の才のようなものなのではないかと思っている節もある。少なくとも自分が思考できるようになる未来を私は全く想像できない。今思考できていないからそう思うだけかもしれないが。だったら喜ばしいな。しかし今までは思考できていなくとも、思念という名の閃きは勝手に降ってきていたのだけど、ここ最近なぜだかそれもなくなってしまった。特に生活に変化はないので原因に心当たりもない。もしかすると閃きがない状態こそが私の人生のデフォルトで、今までがものすごくラッキーだっただけなのかもしれない。そんな…。

f:id:kabiru8731:20220925061623j:image