底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

長期的なやりたいことについて

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突発的にやりたいことなら、やりたい!という気持ちの勢いのままにやってしまえるけれど、長期的なやりたいはそうはいかない。それはむしろいつも突発的なやりたいこととの戦いである。突発的な衝動をいかに押さえ込んで、いかに我慢して、いかに打ち消すか。長期的なやりたいは突発的な衝動と上手く共存できて、初めて叶えられるのである。私はまさに今それと戦っているところだ。本当ならば、こんな執筆は今すぐにでもやめて、この頃ドハマりしているアニメの続きが見たい。めっちゃいいところなのに、もう書かなきゃ間に合わない時間帯が来てしまった。くそ。

 

 

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それでも私は今書いている。アニメが見たいという気持ちを必死に押さえ込んで、必死に我慢して、必死に打ち消して、もはや怒りさえ湧かせながら、今これを書いている。なぜそうまでして書いているのかと言えば、やはりここで終わらせたくないと思うからだ。このブログには続いて欲しいと願っているからだ。ブログを終えることならいつだってできる。でも、それを続かせるのは、今の私にしかできない。だから、書く……なんて高尚なことは全く思っていなくてただもう習慣であるだけに過ぎない。

 

 

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長期的なやりたいが持続しないのは、往々にしてモチベーションが足りていないからなどとよく言われる。でも私はそうは思わない。少なくともこのブログを続けるモチベーションなんて、自分にはさらさらないからだ。だって、このブログが続いているのは私の力ではない。色々な偶然が重なって、たまたま今も続いているだけである。強い動機があったから、今日までやってこれたわけではなく、ただなんとなくで続いてきたのだ。毎日なんとなくやっていて、なんとなくで気づいたら、一年と四ヶ月が経っていたのである。だから個人的には、長期的なやりたいが持続しないことに原因なんてものはないのだと思う。持続しない方が当たり前なのである。

 

 

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じゃあ結局、持続させるにはどうすればいいか。私の答えはもう明らかであるが、つまりは毎日なんとなくで、できそうなことだけをやればいいのだと思う。続ける意識や動機なんてものは全然いらない。それらのものはむしろ、あればあるほど重荷になりかねない。続けるということよりも、とりあえず一日のことを考える。突発的な欲とも共存できる範囲の中でやれることを探して、後はその日その日の自分に任せる。やってくれたらラッキー、やってくれなかったらアンラッキー。続いたらラッキー、続かなかったらアンラッキー。それくらいの軽いノリでやっていくことが大事である。少なくとも私の場合は、ですけどね。

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