底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

未来と今の整合性問題

無理オブ無理

最近は手一杯なため、しばらくは個人的な記事が続きます。よろしくお願い致します。さて、この頃なんにもできていない日々が続いている。ここでのなんにもとは即ち、私の目標である後悔のない死に向かうための全ての行為である。本を読むであったり、気づきをメモするであったり、思考もブログも、もう全部がズタズタのボロボロ。それはなぜかというと、もちろん環境の変化で手一杯なことも関係しているが、一番はまだ家に布団しかないからだ。我が新居には、未だよっこいしょっと腰がけられる場所すらない。真冬のこの寒い中で地べたに座るという苦行を私は私に強いられている。読書も思考も執筆も尻の冷たさが気になって、できたもんじゃない。え、布団に座ればいいじゃないかって。布団に外着のズボンで座るのって抵抗ありません?私はめちゃくちゃあります。え、じゃあ部屋着きたらいいやんって?なんとそれを買う余裕すらもうないんですよね…。本当計画性がゼロ。前の家のものをほとんど勢いで処分して、で、今はお金がなくて新しいものを買い足せないって、さすがに馬鹿がすぎるよ。

 

 

どうしたらいい

はぁどうして私はこんなにも救えないのでしょう。生活のやりくりがまるで人生二十六年目の奴とは思えないくらいに下手すぎるよ。今までどうやって生きてきたんだ。思い返すと、いつも私はまーなんとかなるっしょという舐めきった態度で生きてきたような気がする。後々必要になるとしても、だって今捨てたいんだもん仕方ないよね。なんて全く仕方なくないことを仕方ないふりをしながら幾度も行ってきた記憶が鮮明にある。だが、後悔しない生とは、その都度の欲望を極限まで実現させることでしか叶わないのは自明であろう。だから、私はやはりその時の自分を存分に可愛がって望みが実現する方へと手助けしてやらねばならない。しかしそうすれば、未来との整合性がうまくとれず、未来の自分が大いに苦しむことになる。私はいつもこの問題に囚われている気がする。今に全振りすれば、真冬に冷たい地べたに座る未来が待っていて、未来に全振りすると今度は悔いが残る今になってしまう。結局私は、悔いを避けるために、未来の自分を多く切り捨てる方向でしか、この問題に立ち向かえていない。今の自分も未来の自分もその両方を良いものにする方法が未だ分からないのである。昔はそれでいいと思ってた。若かったからかな。未来がどんなものであっても、それは悔いを残さないようにして生きた結果なのだから、自分なら受け入れられるって。でももう無理そう。尻が凍るって。

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