底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

人生は一度きりだから?

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人生を何か大切なもののように語る時、「人生は一度きり」という文言がよく使われているのを見る。人生は一度きりだからやりたいことをやろうとか、人生は一度きりだから後悔のないように生きようとか、そんなフレーズが多く飛び込んでくる。けれども、そもそも一度きりではない人生とはなんだ?と思うことはないだろうか。例えば死んだ後で、今の記憶を持ったままもう一度赤ちゃんからやり直せるとか、時代を超えて赤の他人として改めて人生を歩めるとか、そんなのが一度きりではない人生ということなのだろうか。しかし、よくよく考えれば、それはただ今の常識の意味と違うだけの結局は一度きりということではないか。人生は仮にやり直すことができても、「二度生きる」ことは絶対に叶わないだろう。なぜなら、死とは絶対的な生の終わりであるからだ。

 

 

2

死のその後で、もしまた生があったとするなら、それは最初から死んでいなかっただけである。死んでいないのなら生はただ続いている。それがどんな形であれ、生と生の間に死があることは定義により有り得ない。生き返るなどという言葉があるが、あれも返ったのではない、ただずっと生きていたのである。人は死のイメージを身体に依存させ過ぎている。これは現実的に当たり前なことであるから仕方ないけれど、真実でないのは明らかだ。自分の死と自分の身体の死は本質的には関係がないからこそ、赤ちゃんに戻ってやり直すなどの想像が可能なのである。

 

 

3

人生は定義により一度きりだ。だから人生は一度きりだと語ることは、一度きりのものは一度きりだというトートロジーに過ぎない。人生は一度きりだから大切なのではない。それはただ自分の、大切にしたいという思いからである。我々が人生を時として大切に思うのは、偏にその神秘性によるものだろう。生も死もただ与えられるしかないこと、人生や世界というものがやはりなんなのかさっぱり分からないこと、そういう驚きによって、人生が果てしなく希少で貴重に思える。

 

 

4

やりたいことをやろう。後悔のないように生きよう。それは仮に人生が何度あっても同じく言えることではないだろうか。一度きりだからどうこうではなく、人生があるというそれだけに基づいて、生きる。いつか死ぬからではなく、一度きりだからでもなく、数十年という短さからでもなく。たとえ終わりがなくとも、どんな形の生でも、その中である生き方を決断する。そういうところに人の意志の美しさと尊さがある。

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