底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

2022-12-01から1ヶ月間の記事一覧

できるできないは方法の中だけで考える

グラデになってる 自分のできることできないこと、と一口に言っても、現実はそんなに単純明快ではない。できることの中には、すごーーく死ぬ気で頑張ればできることから息をするように片手間でできることがあり、できないことの中にはどう転ぼうが、逆立ちし…

ルールは現実を上手くやっていくためにある

ルールはなぜ作られるのか ルールというのは基本的に作った側にメリットがあるようになっているはずだ。でなければ、端的につくる意味などないのだから。ルールに従ってもらうことで、集団の活動が円滑に進み、作った側のメリットを実現しやすくなる。だいた…

3回目のコロナワクチン接種をしてきたという話

ワクワクワク 3回目のワクチンを打ってきました。今は打ち終えたばかりで、副反応が出るまでの間に今日のブログを書いてしまいたいという魂胆で指を走らせております。さて、本当はルールについての話をしようと朝頃には考えていたのだけど、もう腕が痛くな…

近況雑談記事#3〜新生活と接客業について〜

また仕事変わります また仕事を変えることとなりました。特に必要もなかったので書きませんでしたが、今までは事務作業の仕事をやっておりました。次は事務作業の前にやっていた接客業界に舞い戻ります。やっぱり私、人間が大好きなのだと思う。多くの人と直…

偶然か必然かは自分次第

1 私がこの人としてあることは偶然だ。この人のいかなる性質を持ち出しても、私を表すことはできない。私とこの人の間に必然的な結びつきは何もない。ただ現状として、「なぜか」私はこの人であり、他の人ではなかっただけである。別に他の人が私でもよかっ…

何かを消し去りたいのなら塗り替えをしよう

消し去るは難しい 一度存在したものを完全に消し去ることは容易ではない。なぜなら、そこには人の記憶があるから。関わった全ての人が忘れるのでない限り、ものは形を変えてあり続ける。だから、もしこの世から何か消し去りたいことがあっても、簡単には成し…

矛盾する生き物なのに矛盾を放っておけない

人は矛盾する生き物 人は矛盾する生き物だとよく言われる。これはその通りだろう。そもそもその存在の形式から人は矛盾を免れないのである。望んで生まれてきた人はいない、故に望んで生きている人も当然いはしない。だけども、人は生きている。既に存在した…

家に帰るのが嫌いという話

家が嫌いだ 家というものが嫌いだ。家があることで、私には二つの面が生まれる。即ち、家にいる自分と外にいる自分とに分離するのである。玄関でそのスイッチの切り替えをしている時の自分なんか、本当に嫌いでたまらない。外には絶対的な人の目がある。家に…

私と世界の非対称性

何のところで? ところで私はどうしてこんなに死にたくないのだろう。後悔や未練を残してしまうから。正解。単に死というものが何なのか分からなくて怖いから。正解。死ぬともう二度とこの世界には帰って来られないから。正解。全部正解。でも一番の正解はた…

自他の区別の仕方について

なぜか間違えない 世界には約80億の「私」がいる。言語は違えどみんながみんな「自分」を「私」と呼ぶのはどこでも変わらないはずだ。じゃあその80億もいる私の中から、人はどうやって、自分の私を識別しているのだろうか。どうして「私」を間違えるなんてこ…

悔しさは結局バネにするしかない

1 悔しい。なんか悔しくないですか。私はすっごく悔しい。何がって。全部全部。毎日あれもこれも悔しくてたまらない。生きているって何なのか全然分からないこと、自分よりすげー人がたくさん世の中にいること、ブログがうまく書けなかったり、本の内容をい…

近況雑談記事#2〜意志について〜

1 あん、だめだめ死ぬほどやる気がないわ。一日休んだら治るかなって思ってたけどダメだった。このブログは全て天啓頼りだから、何か降ってきてくれないと書くものがないわ。二日連続で休むのは気が引けるなっていうことだけが今、私の指を動かしている。さ…

そう感じるとそうであるは関係ない

感じるの違いはどこから 個であるところの人間はみんなそれぞれに違う。でもその違いを支えている根幹は人間みんな同じである。心があって、何かを感じる。感じたものは千差万別でも、感じるというその働きは誰しもに共通しているであろう。感じたものが千差…

近況雑談記事

1 眠いので今日も今日とて緩く書いていこうかな。この頃、記事の緩急が結構くっきり分かれている気がする。なんというか、頑張る記事と頑張らない記事の線引きが上手くできるようになった感じ。頑張らない日はとことん頑張らないかわりに、頑張る日には最高…

気持ちの整理と目の前の問題を分けて考える

人生でぶつかる難事は二つ 人生において自分の役に立つ言説は大まかに二つに分けられると思う。一つは気持ちの整理に役立つもの、もう一つは目の前の実地の問題を解決するのに使えるものである。現実で人がぶつかる難事と言えば、だいたいこの二つのどちらか…

人が大切にされるべき理由

なぜ 人はなぜ大切にされるべき存在なのだろうか。大切にされるに値する源は一体どこなのか。今回はそれを考えてみたい。 理由として不十分 「一つの命だから」と言う人がいる。失えば二度と元に戻らない一回性のものだから、大切なのであると。これは確かに…

豊かになって実感はなくしたとしても忘れたくない

大人気ない大人買い 知らない街をぶらぶらしていたら、久しぶりに駄菓子屋を見かけた。随分懐かしい気持ちになった。小学生の子らが買っているのを見て、自分にもこんな頃があったなぁとすっかり思い出に耽ってしまった。もう十五年以上も前の話になるのか。…

ゆるい雑談に奇跡を添えた記事

ゆるいです ゆるふわな記事が書きたい気分なので、今日はいつも以上にゆるゆるで行きますね。浮かんだ言葉をただ並べていく感じで。この頃やっぱり書くことって楽しいなと思うようになった。それは偏に書きたいものがあるからだ。頭の中にあるものを外に出し…

常識はかつて常識ではなかった

生活がよりよくなるサイクル 時代を通して人の生活がよりよくなっていくサイクルには、何かが問題視される→徐々に改善される→改善されている状態が当たり前になる、というのがあると思う。皆が今まで何の疑いもなく当然のように常識として受け止めていた物事…

目的に正解はなくとも手段にはある

目的に正解はなくとも手段にはある 生きている上で人それぞれが持っている目的や理想に正解はない。そこは何を持つべきかなんていう「べき性」が働くところではなく、違法でない限りは完全に個人の自由に属する領域である。誰しも自分が思う正解を思う通り生…

生きる意味があることないこと

1 自分とは本質があるような存在ではない。本質みたいなものはあるかもしれないけれど、はっきりきっぱりばっさり本質だと言い切れるようなものはないのである。何があれば自分は自分であるのか、何を失えば自分は自分でなくなるのか、そんなの、誰にも分か…

真剣さは遊びとセットであった方がいい

真剣も時には考えもの 真剣に生きていくこと、それは偏に素晴らしい。自分の人生に対してただひたむきに向き合っていくのはどう考えてもよいことである。だが時として、それはどうしようもない種類の生き苦しさを生む。真剣に生き過ぎたために、熱意が有り余…

正しく生きることとエゴについて

1 人は正しく生きられない。生きることと正しさはすこぶる相性が悪いからだ。生きるとはつまり裏を返せば生かされるということであり、我々は常に数多の生物や自然環境を犠牲にし、先人達の生き様や努力の結晶と、今まさに隣で生きている他人に助けられなが…

死をどうしたらいい

死ぬまでに何がしたい? 死ぬまでに自分が何をしたいか、いつも考える。ラーメン食べたい!のような衝動的なしたいことは割りかしすぐ出てくる。気になっているアニメが見たいとか、あの本を読んでおきたいとか、そういうのはすぐ出てくるくせに、信念のよう…

人を人たらしめているものはそんなに多くない

人を人たらしめているものはたった一つ 人と人の間には必ず同じでなければならないことと、たまたま同じであることがある。つまり、人を人たらしめていることと、あくまでそういう特性や傾向があるに過ぎないことの違いだ。人を人たらしめていることは実はそ…

十二月になりましたね雑談

十二月になりましたね。またまた雑談の日がやってきた。イェーイ!一ヶ月に一度ブログのことがそんなに苦でない日。肩の力を抜いて書けるの本当に助かる、日中もブログのことあまり気にしなくていいし。さて今月は何を書こうかしらね。やっぱり年末であるこ…