底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

2022-10-01から1ヶ月間の記事一覧

原因と理由は共存できる

原因と理由 自分が何かをしようとする時、なぜそれをしようとするのかという問を発すれば、そこには二通りの答え方が存在している。一つは外から答えること、つまりはしようとする「原因」である。例えばアルコール依存症の人がなぜ目の前のお酒を飲もうとす…

事実はどうにもならない

1 事実というのは目を背ければ、ひたむきに隠し続ければ、そのうち勝手に消えてなくなるようなものではない。そうだと認めなければ、そうだと見なさなければ、いずれ勝手に形が変わっていくようなものでもない。事実はいつも厳然と存在している。目を背けよ…

信念ってなんだろう

信念って何 信念とはなんだろうかと考えている。少なくとも私は自分の中にそういったものの存在を確認できない。人に聞かれてすぐにこれが私の信念だとはっきり言えるようなことは全く思いつかない。きっと「うーん別にないなあ」としか答えられない。でもこ…

物語と現実の好き嫌い

好き 物語が好きだ。物語には絶対に自分は出てこない。自分はその世界の登場人物ではないのに、神の如き視点で様々なところを覗くことができる。登場人物からは自分の姿も見えないのに、自分はそいつらの心の中さえ手にとるように分かる。その優越感がクセに…

他の人の作品を評価することの意味

1 どうして人は誰か他の人の作品に対して「上手」や「下手」などと評価できるのだろうか。上手や下手というのはつまり作品自体に対する優劣の評価だが、もし鑑賞する側にとって作品に優劣があるとすれば、それはすごく不思議な話ではないだろうか。だって、…

ただできないと認めることから現実は始まる

言い訳ですね この頃ネタがないネタがないと散々書いてきたけれど、ついに気づきました。そうだよ。このブログにネタとかそもそもないやん。逆に今までいつネタがある時があったよ。いつだってパソコンの画面にへばりついてからが勝負だったじゃないか。どの…

自分のことはそれなりに好き

自分を大切に 自分のことはそれなりに好きだ。もうこの人生で終わってもいいなと思えるくらいには今の自分を気に入っている。自分を好きになったきっかけは全く覚えていないけれど、好きなところなら色々挙げることができる。その中でも一番は、自分のことを…

こっちのぶどうの方が美味しいよと言い続けるためにブログを書いている

変態ですね 自分のブログ記事を一つ売るならいくらの値段をつけるだろうかと考えてみた。結論は早くて、瞬時にゼロだなと思った。こういうところが私のダメなところなんだろうな。自分の記事はたいそう好きなのに、それが他人にとって価値があるとはとても信…

思うの二つの意味

引き続きやる気がない 今日も今日とてネタもやる気もない。のでダラダラ書いていくことにします。なんでそれでも書こうとするのかはよく分かりません。そんなにやる気がないなら早くパソコン閉じて眠ればいいのに、と自分でもそう思う。思うけれど、思いなが…

最近の自分を振り返ってこれからの自分を決めるだけの記事

本当に? おいおい、この頃ブログテキトーに書きすぎじゃないか。というか、なんか全部自分で書いているな。あれだけ色々な記事で、自分で書いた気がしない云々、頭に降りてきた言葉を出しているだけだ云々と言ってきたのに、最近すっかり言葉が降りなくなっ…

目先にある欲求と未来にある欲求

1 目先の欲求を満たす。そうすると後に何が残るのかと言えば何も残らない。時にその残らなさに人は少々の喪失感と虚無感を抱いたりするくらいである。目先の欲求はいつだって満たしたその瞬間が最も満足感が高く、そこからは何もかも下がっていく一方である…

できることは限られていないから困る

1 できることはどうしてこう限られているのだろうか。いや、正確に言うなら、自分の生活をほぼ何の問題もなく一人で送れているというのに、どうしてできることは限られているのだと一々ため息をつかなきゃならんのだ。自分一人を世話できるだけで十分である…

生きていることの価値をどこに見つける

価値はないけど価値が必要 生きていること自体には、本来如何なる価値もない。言うなればそれはただの自然現象であり、何の気なしに生まれ、そしてやがては消滅する存在のその一つの過程であるだけに過ぎない。決して何かの理由があってあるものではない。だ…

ブログを始めて二回目の誕生日

たんおめ自分 あり 自覚がないまま数字がだけが大きくなっていく 二十六歳になりました。今まで色々な記事で今年二十六歳という書き方をしてきましたが、ついにここで正々堂々と今年の二文字を外して二十六歳と名乗ることができるようになりました。二十五歳…

銭湯から考える人間の思う力と真実の関係

銭湯大好き 今日は銭湯に行ってきた。お湯をはるという作業は私にとって酷くめんどくさいので、ゆっくりお風呂に浸かりたい時にはいつも近くの銭湯に行くようにしている。銭湯に行くとなぜか頭がよく冴える。裸でいることが原因なのか、湯に浸かっていること…

甘えはいけないことなのか

甘えはいけないこと…? 「甘え」はなぜだかいつも「いけない」ことであるという前提で語られる。「〇〇は甘え」という言葉が攻撃的な意味を持っているのは、もはや言うまでもなく人々の共通認識であるようだ。つまりは、その言葉によって、相手がいけないこ…

教養と科学技術は似ていると思う

何十年前の話だよ 電話の発明によって人は遠いところにいる相手にも瞬時に言葉を伝えられるようになった。それまではきっと手紙を出すくらいしかなく、相手の返答を知るのにも多くの時間が必要だったに違いない。科学技術というのはつまり人々の不便を減らし…

消えた10日と自己認識を改めた話

10日はどこへ消えた ぬわぁぁぁあ。やらかした。ブログを始めて一年三ヶ月、休んだり遅れたりしたことはあっても一日飛ばしたことなど決して無かったのに、あれれおっかしいぞ〜10日の記事が見当たらない、公開されていないだけじゃなく下書きにもどこにもな…

価値は自分の見方にかかっている

1 物事の価値に公的な基準があったとしても、最終的には個人の思うところに委ねなければならないのが現実である。つまるところ、そのものにどれほどの価値が「実際に」あるのだとしても、見る人感じる人がそう見たり感じなかったのなら、少なくともその人に…

名前がつくと何が変わるのか

1 自分のある特性に名前がつくと安心する人がいる。名前がついたということによってその特性を自分から切り離せるためだろう。なんだ、「自分が」そうだったんじゃなくて、その特性が自分をそう「させていた」のかと思えるから、ホッと胸を撫で下ろせる。確…

お休みです

眠いのでお休みです。十月もマイペースに更新していこうと思います。よろしくお願い致します。

この世には役に立つ無駄がある

美味しかった 少しばかりの贅沢をする。いつもはお高いと思ってスルーしているお刺身のコーナーに立ち寄って、自分の食べたいのを一つだけ選んで買い物カゴにぶち込む。スーパーからルンルンで帰宅し、ルンルンでご飯をよそって、お刺身のパックを開け、わさ…

自分への拘りはない方がいい

1 拘りというのはなければないほどいいのだと思う。それは往々にして自分を苦しめる種にしかならないからだ。拘りの中でうまくやれている時はいい。その時にはむしろ一貫性がありスタイルが確立されていて素晴らしいなどと好評をうけるだろう。しかし人はそ…

いつでも真実を書き記す

真実を書く いつでも自分の思う真実を書く、心にもないことは書かない。それを守るだけで、書かれたものは少なくとも自分にとってだけでも掛け替えのないものになる。嘘をつく悪さというのはたぶんそんなところにある。自分ですら自分の本当が分からなくなる…

何もないを目指している

何もない 何もないという状況ほど至極なものはない。何も苦痛がなく、何も心配することなく、何にも恐怖しなくて済むのが素晴らしいのはもちろんのこと、何も欲しがらず、何も望まず、何もしたいことがないというのも最高なことではないだろうか。それはつま…

生きているとは何もしないことだ

1 人が生きているということには何が必然的に含まれるのか。食べたり、眠ったり、排泄したり、これは身体からの要請であるが、身体が今の形態であるのは偶然に過ぎない。家族や友人と接したり、働いたり、これもその時の社会的な価値観や理念や法によって今…

十月になりましたね雑談

十月になりましたね。雑談記事のこの日を無事迎えられたことに驚きを感じている。ブログに対する熱意が日々最底辺を更新し続けているからだ。私にとっての書くことの意義を改めて考えている。やりたいかやりたくないかで言えば本当にやりたくない。やめたい…