底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧

知らなければよかったは知ってみないと知り得ない

理不尽すぎる 人間の構造は実にたくさんの理不尽で成り立っているが、その中でもとびきり不便な理不尽がある。それは「知らなければよかった」は知ってみないと知り得ないことである。知らなければよかったと思った時にはもう手遅れであるのに、先んじて知るべ…

お休みです

眠いのでお休みです。もう一月も終わりですね。二月からもぼちぼち頑張りたいと思います。

美容院で人の優しさに感動した話

奇跡落ちてた 美容院に来た。この頃はずっとショートヘアである。洗うのも乾かすのもめんどくさいという理由で、もう長い間髪は伸ばしていない。今回の美容院は二ヶ月ぶり二回目の利用である。お店に入って席に案内されると、担当の美容師さんが口を開いた。…

今の自分を決めるのは過去なのか

根拠はどこにある? 過去の経験は今の自分の性格にどのくらい影響を与えているのだろう。正直言ってよく分からない。この人が今こうしてこのような形であるのは過去に〇〇を経験したからだ。そのような言説をよく見かけることがあるが、その因果はどのように…

相対主義と絶対主義のお話

埒が明かない戦いの始まり 「人それぞれで考え方が異なるのだから、その人にとってある事が正しいのであればそれは正しいのだ」とAが言った。それに対して「いいえ、世界には絶対的な正しさがあり、その正しさこそが誰にとっても正しい事なのだ」とBは主張した。…

未来はなるようにしかならない

未来は決まっていないが決まっている 自分の未来は既に運命によって決まっている。そう思ったり考えたりしたことはあるだろうか。私は何度もあるし、実際にその通りであると思う。何かの形ある運命を信じているわけではないが、ただ未来には常に不可変的側面…

生きていることより大切なものはあるがそのために死ぬ価値はない

死ぬ価値はあるか 生きていることより大切なものってあるだろうか。命より大切で、命を賭してでもやる価値のあることってこの世にあるだろうか。あ、命を失ったらもうこの世じゃなくてあの世か。あの世行きになっても構わない。そういう覚悟は大変に素晴らし…

書きたくないよ

書きたくないよ 最近まるで書くことに対してのモチベがない。それでも今こうしてブログを書いていられる(書かずにいられない)のは、たぶん過去の自分が存在しているからである。このブログもう半年以上書いているんだから、簡単に投げ捨てられないよ。過去…

自分を慰めるためのストーリー

ストーリーの存在意義 「あの世に行った人でこちらに帰ってきた人は一人もいないでしょ、だからあちらはきっとすごくいい場所なのよ、そう思わないと老い先短い人生やってられないわ。」喫茶店で隣に座っていたおばあちゃんの声が耳に入ってきた。あぁすごく…

お休みです

調子が悪いのでお休みです。書くことが重荷になっている。うーんどうしたものか。

具体を観察することから

抽象に偏っている なんでも抽象的にものを見てしまう。人生はだいたい生と死の二つ、存在はだいたい私と世界の二つ、人は第一人称の私、第二人称の見知った人、第三人称である赤の他人の三つ。そうやってなんでもすぐに形式だけを取り出して、内容の方をおざ…

そこに謎があるから考える

暇なのは間違いない 人生について考えるのが好き、なんて口に漏らすと「暇なのか?」と時々言われる。それは否定しないが単純に気になるんよ、と言っても中々伝わらない。確かに、人生それ自体が解けない謎であるのは分かりきっているのだから、考えるのをや…

お休みです

いつものお休みです。一言すら出てこねぇや。もう寝ます。おやすみなさい。

なりたいものなんかなくてもいい

ないのが普通 何かになりたいと思わなくなって五年くらいが経とうとしている。学生の時は随分と何かになりたかった。なれない自分を嫌悪していた。何もなりたいものがないのは良くないことで、大人は皆完璧に何かになっているのだと勘違いしていた。二十五の…

精神のない赤ん坊に戻りたい

精神のない赤ん坊に戻りたい 何の根拠もないような話であるけれど、私は精神というのは若ければ若いほど良いと考えている。なんなら精神なんか本当はないほうが良い。良いというのはその方が自然だという意味である。つまりこの世で一番自然なのは生まれたば…

ブログを書く楽しさ

ブログを書く楽しさその一 ブログを書いていて楽しいと思うのは「自分はこんな文章も書けたのか」と驚ける瞬間である。私は基本的に自分のことをポンコツと思っているし実際にポンコツでもあるので、自信などというものは少しも持っていない。挑戦しても失敗す…

自分らしさってなんだろう

変な言葉 自分らしいってすごく変な言葉じゃないですか。だって自分らしいですよ自分「らしい」。今ここにある自分以上に自分らしい自分がどこかにあるってことですか。今ここにないのにそのどこにあるとも知れない自分の方が自分らしいって言うんですか。今こ…

世界で自分にしかできないこと

個性が光る場所 誰にでもできることが好きだ。人間であるなら誰にでもできることをするのが大好きだ。仕事もそういう仕事が好きだし、私が生きる上で行っている考えると書くもこれに当てはまる。誰にでもできるからこそ、それをすることで私の個性が光る。最…

正常はどのように決められるべきか

正常を決めるのは? ある人が正常であるかどうかの基準はいかにして判断されるべきか。一般には「社会生活を送ることに支障があるかどうか」だろうか。他人と問題なくコミュニケーションできるか、人と同等の働きが行えるか、多くの人と同じような善悪観を持っ…

お休みです

頭が痛いのでお休みです。心もいつにも増して元気がない。あーあ死にたいな。

目の前にあることを一つずつ

死にたいマンの日常 基本的に死にたい死にたいマンなので、放っておくと家のベッドに横たわって一日中放心状態みたいになってしまう。それだとさすがに色々とまずいので、常日頃私は自分にたくさんの課題を出している。課題といっても何か難しいことをやるの…

なぜ私は存在するのか

人生の不思議 人が生まれる。それは精神と肉体、非物質と物質が結合された一つの何かしらが生まれたということである。現在、世界には約七十八億個のその何かしらが存在している。そこまではいい。問題はその中の一つが「私」であるということだ。七十八億き…

正当性のある怒りは存在するか

正当性のある怒りは存在するか 正当性のある怒りというのは存在するだろうか。相手に何かを伝えるために怒りを使うのが正しい、怒りを使う他ない、そんな場面って本当にあるのだろうか。別に人類全員きちっと根気強く話せば分かり合えるなんてことは思っちゃ…

私にとっての私の生死と他人にとっての私の生死は時として食い違う

人生の最悪 人生の最悪を考えた。私的には二つだ。一つ目は自分が生きているのを誰にも分かってもらえないこと、二つ目は自分が死んでいるのを誰にも伝えられないことである。いずれにせよ、私にとっての私の生死と他者にとっての私の生死が食い違うことが一…

馬鹿について考察するおふざけ

言うまでもないが私は馬鹿です 馬鹿。人生でそう言われた回数は数知れず。少しばかり悔しい気持ちもなくはないが、こればかりは認めなくてはいけない。自分自身でもその自覚がはっきりとある。知らないことがたくさんあるし、考え方だってたぶん偏っている。…

人生は苦しいと考えている方が良いと思う

人生は苦なり 生きていることは苦しい。そのことが人々の共通認識であれば、苦しさを克服しようとする行為や苦しさと共に歩みを進めていこうとする行為、つまり生きているというそれだけで、それは自然と称賛され得るものになるだろう。自分の目の前にある障…

せっかく生まれてきてしまったのだから

生まれたことは奇跡or不運 生まれてきてしまった。やはり私はそのように人生を悲観する。生まれて今ここにあることは確かにある意味では奇跡であり、他に類を見ないほどに貴重なことである。だが、それは結局意味の与え方次第なのである。有難い、有るのが難…

「ひとり」は断片の寄せ集めに過ぎない

私が私であり続けるのは謎によっている ブログの向こうにいる人は私がどこの誰であるかを知らない。私がどこの誰であるかを知る人はこのブログの存在を知らない。これは私にとってとても大切な境界線である。同じ人にたくさんの私を見せるのは端的に疲れるか…

どこで勝負すれば負けないか

勝つより負けない 勝ちたいとは思わない。勝てるとも思わない。だから誰にも何にも勝負は仕掛けない。誰かの土俵では決して戦わない。だが、勝負を仕掛けられたら話は別である。私はいつも「勝つ」より「負けない」を目指す。勝負しないということはもはや許…

お休みです

書くことがまとまらなかったのでお休みです。なかなかうまくいきませんね。