2022-09-01から1ヶ月間の記事一覧
二種類の悩み 悩みには二種類ある。個人的な悩みと普遍的な悩みである。違いは他人が自分と同様に悩んでいなくても、それを不思議に思うかどうかだ。明日プレゼンがある、うまくできるか分からない、向き合いたくない。これは個人的な悩みだ。自分の自信が無…
1 何か新しいことを始めようという時、もう遅いなと思うことがある。今更始めたって、もういい年だし、散々違う道を歩んできたし、今から始めたところでたかが知れているだろうと、とにかく始めない理由を並べ立ててしまう。しかしもう遅いなんてことが本当…
お休みです
1 今日も相変わらず記事にできると思えるようなものが全然ない。最近はそういう流れなのかもしれない。こんな時私は自分の努力が足りていないと思う方だが、所詮は思うだけである。本当に努力しようという気持ちにはなれない。努力というのはつまり自分をよ…
命は同じでない 命と一口に言っても、それが「誰の」命であるのかはとても重要な観点である。知らない人なのか、親しい人なのか、自分のなのか。全てを同じに扱っているという人はいない。そこには必ず区別が存在している。ところが例えばまだまだ世の中に蔓…
自分は綺麗事をきちんと実践しているという人は今すぐブラウザバック 人間というのは綺麗な存在ではない。うーん主語がデカイな。綺麗じゃない人の方が多いくらいにしておこう。いやこれでも角が立つな。綺麗じゃない人もいるにしよう。ここでの綺麗とは綺麗…
書くことがない(n回目) 困った。今日も書けると思えるものが全然ない。この頃はずっと頭がボーっとしているようだ。キーボードを叩いても叩いても、こんなの全然面白くないと思うような文章になってしまうので、今日も今日とて諦めて素直に何もないというこ…
自分に関する認識の第一決定権は自分にはない 本人に関する認識は全て本人に第一決定権がある、は個人の立場で言えば理想的だが、現実問題そうはいかない。例えば自分はただ手を拳の形にして勢いよく伸ばしただけで、たまたま目の前に人がいたから結果的にそ…
勘違いは必ず起きる 勘違いというのは、人と人が関わる以上避けられないようなトラブルだ。何かを伝えることはそれだけ人にとって難しくミスが発生しやすい。送り手がわざと相手を騙すような言い方をしていなくとも、受け手が悪意的に捻じ曲げた解釈の仕方を…
こぼれ落ちるもの 人は誰しも常日頃言葉を使い自身に関する色々を表現している訳だが、言葉というのは自分が生まれる以前に既にこの世にあったのである。つまりはそれは使い古されたものであるから、世界に未だかつて存在したことのない自分を表現するのには…
書くことがなかった 考えに考えたが何も言葉が出てこず…。仕方ない雑談をしよう。ほぼ毎日書いていると決まって月に数日はこうなってしまうようだ。別に書きたいことなどないというスタンスで始めたのに、ネタが思い浮かばない日が月にたった数日なんて、奇…
差異が生まれるのはなぜ 私は人生論というものにはさらさら興味がない。生き方なんてどうでもいい。ただ自分の考えたいことを考えているのが楽しい、とにかく毎日それさえできればいいと思っている...はずなのだが、どうしてか、アウトプットになると人生論…
雰囲気ってすごい 人は誰しも雰囲気を身に纏っている。言語化はできないけれど、「その人っぽさ」としか形容できないものがとにかく存在している。何がそう思わせるのか、一体どこがぽいのか、うまく言えないのになんとなくその人なのだと分かる。これ本当に…
問うことは贅沢なのか 人生が何であるかと考える営みは、暇だからできるのだとよく言われる。経済的な余裕、精神的な余裕があるからこそ、そんな浮世離れした答えもないようなことをネチネチといつまでも考えられるのだと。これは本当にその通りなのだろうと…
1 何かの二択が目の前に用意されていて、さてどちらを選ぼうかという時に人がどのように考えるかと言えば、端的にその二つを選んでどうなるかと想像するであろう。仮にこっちを選んだらどんな未来が待っていて、自分がどんな気持ちになるのか、何を得られて…
価値は何で決まる 物事や作品の価値というのはどれだけ多くの人に高評価されたかで決まるのではない。どれだけ高い値段をつけられたかで決まるのでもない。どれだけの労力や時間がかけられていて、どれだけ作り手が拘ったのかで決まるのでもない。どれだけ革…
配慮すると損をする 私は基本的に自己利益をそのままに優先させる人は好きである。少なくとも自己利益でないふりをしながら、その実自己利益を得る気満々であるような人よりは正直でいいと考える。だがひたすらに自己利益だけに純粋であるのも考えものではあ…
体調が死んでいるのでお休みです。九月今の時点で休みすぎて前途多難だな。後半は頑張れると信じて、未来の自分に託します。頑張ってね。
1 人にはとてもとても恐ろしい能力がある。それは慣れることだ。何が恐ろしいかと言えば、まずはその範囲の広さが半端じゃない。一定期間さえ続ければ大抵のことには慣れることができる。今の自分からみれば、「とても無理だよ」と言いたくなるような生き方…
人生の始まり 偽りの自分を人から賞賛されても、大抵喜びにはならない、むしろ賞賛されればされるほど、苦しくなっていく一方である。それはもちろん本当ではないからだ。他人に対しても、特に親しい人が自分に偽りの態度をとったと知ると人は悲しくなる。そ…
1 知識を蓄えるのが好きと博識になりたいという二つのことは全然違う。前者にとって博識になることは知識を蓄えたその結果に過ぎず目的ではないが、後者にとっては目的そのものであり、むしろ知識を蓄えることがその手段の一つに過ぎない。知識を蓄えるのが…
本能だからで許される社会はそれはそれで怖いな 人間において「本能」という言葉はもううまく機能していない。食欲や睡眠欲などがそう呼ばれがちであるが、それらを完全に無視するというのは無理でも、一食抜いたり一日眠らなかったりくらいならできるし、時…
やる気が地べたを這いずり回っていたのでお休みです。
許せたり許せなかったり 同じ言葉なのに、それを許せたり許せなかったりすることがある。同じ「馬鹿だな」でも、時に傷ついたり、時になんとも思わなかったりする。その違いはたぶんそこに愛を感じられるかどうかだ。愛があれば多少の暴言は受け流せるし、む…
若さについて 若い時人はどこまでが若さでどこからが自分なのかを知らない。歳をとることで何を失って、何が自分に残るのかを知らない。その意味で若さは貴重である。分別がつかない間にできることはきっとたくさんある。歳をとった自分がどうなるのか、それ…
尊厳 人の尊厳はどこにあるのか。それは能動的には、自分に関することを自分の意志の元に決定できるというところにある。自分の気持ちや考えを決して無視されたり踏みにじられたりせず、耳を傾け尊重される環境のことを人は幸福と呼ぶのである。受動的には自…
眠いのでお休みです。
1 久しぶりに自分のブログページを一番下にまでスクロールして、一年前ブログを始めたての時の記事を読み返してみた。結論から言うと、恥ずかしくて死にたくなった。文体も書いている内容もまぁ恥ずかしい。なぜ当時の自分はこれで載せてもいいと思えたのか…
本文はおまけ 私のブログ記事の価値は九割タイトルにあると思っている。本文は常にそのタイトルが如何なることを言っているのかという説明であり、ぶっちゃけタイトルだけで言葉の意味が分かるのなら端的に読む必要などない。私が言いたいことも本当はタイト…
雑談記事は章のタイトルなしでいこう 九月になりましたね。八月の一日に雑談記事を書いて以来、それを恒例化したいという思いがすくすくと自分の中で育ち、やっとこの日を迎えることができました。このブログは常にその日の思いつきなどに任せて、完全ノープ…