底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧

他人に対する判断をどのようにするか

1 本人の意志によらない生まれつきや育ちの影響で、後天的には中々変えられない部分でその人の何かを断定するのは理不尽であり、偏にそうするべきでない。という言説はとても正しいように思う。理由は言うまでもないが、単純にそれが本人の望んだものではな…

配慮はする側の親切

1 配慮というのは、それをする側の親切と美学であって、される側の権利ではない。履き違えてはいけないところだと思う。そこに道徳を持ち込み、自分たちは配慮されなければならないと主張するのはとても醜いことであって、偏に人としての品性が欠けているの…

何もしていないから悪いということもある

1 「何もしていないから自分は悪くない」という言葉がある。何もしていないのだから自分は端的に関係がないといった意味なのだろう。何もしていないのだから、何も影響を及ぼすはずがない。それがどうなっていようとも、自分がやったのでないことだけは確か…

カテゴリーと個について

1 個人を初対面で理解するのは不可能だ。目の前の人が何をして欲しくて、何をされたくないのか。それを知るには実際に本人とコミュニケーションする他ない。そのコミュニケーションを簡単にする手段として、カテゴリーが存在する。カテゴリーがあれば、自分…

知りたい

1 一度染み込んでしまった悪癖はそう簡単に治るものではない。気を抜くとすぐにブログの日付が飛んでしまう。ちゃんと戻していきたいけれど、無理をすると本末転倒になるので、徐々にでいこう。さて、今日はなんの話をしようか。この頃思うのは、私はやはり…

常に選択をしよう

1 人は毎日たくさんの物事を選ぶ。様々な基準で様々な物事を選び、自分自身の生活を送っている。どれが自分の好みか、どれが自分にとって都合がいいか、どれが自分の将来に役立つか、どれが自分の生涯の幸せに直結しているか。様々あれども、要するに全ては…

世界はもっと優しくなれるはずだ

1 世界はもっと優しくなれるはずだ。少なくとも優しくしたいのに様々な事情によって現実的に今はそれができない人、は一定数いるに違いないのだ。個人的にはそういう人達の優しさが制限されることなく、そのまま放出された世界の方がよりよいと考える。だっ…

意志による決定をしよう

1 何かに対しての反応を人は二種類持っている。一つは反射だ。それをされると咄嗟に自分でも意図せずしてしまうことである。もう一つは意志による決定。そうされたことをうけ、自分なりの基準と思考を経た後に返しをする。二つはグラデーションのようになっ…

自分にとっては不快でも

1 自分にとって不快なものはなければないほどいい。これは自明なことだ。不快なものを望むとは定義に反する言葉の使い方であって、それはもはや自身にとっての快であるから望まれているだけに過ぎない。しかし人間というのは当たり前だが集団で暮らしている…

帰ってきました

1 一日でもサボるとダラダラしてやらなくなるから毎日投稿している、と過去の自分が言っていたことが見事的中したというようなこの頃。いよいよ今日から、また本腰を入れていきたいと思います。さすがにこれ以上書かなくなるのは自己嫌悪に陥りそうなので。…

個と種の非対称性

1 種にとって個は種を存続させていくための道具だ。反対に、個にとっての種も同様である。お互いがお互いを生かし、お互いがお互いを利用し合っている。種は個の経験の数だけ学習し、より生存の確率を上げる。そして、次なる個はその環境の中へと生まれてく…

またこの話ですか

1 ここ最近の記事を読み返したら、「あれ?同じことしか言ってなくない?」と思い至りましたが、今日も相も変わらずその話をしていきたいと思う。私の人生にとって一番大事なところだもの。何千回語っても多分語り足りないね。さて、今日は再び不足について…

三月になりましたね雑談

三月になりましたね。二月はブログ的に見ればボロボロだったけれど、そのおかげで自分のスタンスはもうだいぶ変わって固まってきたかなという感じ。今月で通常運転に戻れるかは分からないが、いずれにしても、そろそろかな。書くこと、それが自身の不足を埋…