底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

2021-12-01から1ヶ月間の記事一覧

十代の頃の自分は最強だった

まだ十代気分 うわぁ後十五分で年を越してしまう。きっとこの記事を書いている間に越してしまうと思うので、とりあえずあけましておめでとうございます。もう二〇二二年か。全然実感が湧かないな。未だに私は二〇十五年くらいを生きている気がしてしまう。た…

何に対してより誠実であるべきなのか

何に対してより誠実であるべきなのか 何かに対して誠実であること、それは常に正義である。少なくとも嘘をついた方が善いということはどんな場面においてもありえない。そのことは間違いないのだけど、問題は誠実にできる対象が二つ以上あり、尚且つ一つに誠…

生きているから何かしたい(と思ったけど)

生きているから何かしたい 死んではいけない。死にたいけど毎日を生きて過ごしている理由はぶっちゃけそれしかないのだが、それでもこうして生きているわけだから、何かはしたいと思う。今のところずっとやっているのは書くことと考えることであるが、でも書…

相反する価値観は相容れない

価値観は相容れない ある価値観を持つということは、その価値観と矛盾する或いは相反する価値観の人とは絶対に相容れないことを意味する。それがあるものを価値とすることの定義である。もし矛盾する或いは相反する価値観をも受け入れられるなら、それはそも…

アンテナを張るまでが私の仕事

受信だけしてたい アンテナを張るまでが私の仕事。ブログにしても考えるにしても、私はいつもこのスタンスを保っている。どんな電波を受信するかは私の知ったことではない。「毎日千文字のブログを書く!」と「とにかく人生について考える!」というアンテナだけ…

世界一になりたい

世界一になりたい 自分のやりたくないことではない前提で、何かの世界一になれるとしたら、「ふーん、まぁやってもいいよ」くらいの気持ちにならないだろうか。だって世界一ですよ。世界一。そんな機会凡人にはそうそうないし、死ぬ時に世界一になったんだって…

不自由があるくらいの自由が丁度いい

自由と不自由 自由とは常に不自由と隣り合わせに存在している。何かを選ぶ自由があるということは、何かを選ばなければならない不自由があることを意味する。不自由の中にしか自由は存在せず、自由の中にはしばしば不自由が散見される。選択することの自由と…

お休みです

と言いながら眠いので今日はお休みです。残りの一週間くらい突っ走りたかったんですけどね。休まないとやってけないようです。

このブログを振り返るだけの記事

今年も終わりますね そろそろ年末ですね。このブログにとっての初の年越しが近づいてまいりました。季節感とか節目とかそういうのはこのブログには全くないのであまり関係はないですが、街のメリクリ年越しあけおめムードの賑やかさに、思わず今年も終わった…

なんだかんだで書き続けるよという話

問うてはいけない 文章を書いていて一番問うてはいけないもの、それは「こんなん書いて何になるんだよ」だと思う。書く楽しさや面白さを失った時に問いがちであるが、本当にやってはいけないと思う。だって答えなんてないんですもの。何にもならないのはもう…

根拠なきものに対しての正しい態度とは

信じるべきが疑うべきか 信じる根拠がないから疑う。疑う根拠がないから信じる。他人に対して、できごとに対して、一体どちらの態度でいるのが正解なのだろう。疑うことは時に周りに煙たがられたり却って自分自身の不信感を呼び寄せたりするが、真実を知るた…

恥ずかしい自分を隠すための自己正当化

またかよ 何かよいものを書かなきゃ、そういう観念に一度囚われると抜け出すのは中々難しい。そして、私は今まさにその渦中にいる。これを意図的に破るために、私はあえて内容をあまり気にしないようにしてこの記事の執筆を行っていこうと思う。以前もそのよ…

結局死にたいだけの人生

死にたい 死にたい。人生でそれ以外を本気で思える人、私は心の底から尊敬する。とてもじゃないが私には無理だからである。朝起きて、あーあ死にたい。昼ごはんを食べて、あーあ死にたい。夜ベッドについて、あーあ死にたい。基本的な私の毎日である。もちろ…

お休みです

疲れたのでおやすみです。人生は有限でも目の前にある疲れに逆らうのは難しい。おやすみなさい。

私が存在していると思えるのはなぜだろう

私が存在していると思えるのはなぜだろう 私はなぜ私が存在していると思えるのだろうか。この頃の私の関心である。「私はなぜ存在するのか」は途方もないので問えないけれど、私というものが存在している前提で、なぜ私はそう思えるのか。逆に言えば何が欠け…

頑張ってもあと二万記事しか書けない

あと二万記事しか書けない 普通に生きていると、自分の人生が有限であるということを時々忘れる。人生八十歳まで生きられるとしても、私に残されているのはあとおよそ五十五年。日にちに直すとざっと二万日。ブログをこれから死ぬまで毎日更新し続けても、私…

欲望と現実を繋ぐための自惚れ

モチベとしての自惚れ あくまで心構えというかスタンスの話として、私はブログを書くとき、自分の書く記事が一番面白いという気持ちで書いている。来る日も来る日もこうしてブログを更新し続けられているのはその思いに支えられている部分も大きい。こんな面…

自己を知らなきゃなんも始まらん

自己を知らなきゃなんも始まらん 全ては後悔しない生と死のため、ずっと掲げてきたこの目標に最近やっと少し具体的なやるべきことを思いついた。まぁ今までずっとやってきたことであるけれど、やはりそれは自己を知る以外にはないなと改めて腑に落ちたのだ。…

悪いことはなぜしてはいけないのだろう

なぜだろう 端的に悪いことはなぜしてはいけないのだろうか。「悪いことだから」という堂々巡りな答えを避ける形で考えてみたい。一つ、他人に危害を加えているから。たぶん世間的にはこれが一番の理由であろう。誰かが傷つくから迷惑するから、悪いことをし…

他人を介さないと自己満足できない

代わりに誰か愛してやってください 私の記録をつける。それがこのブログのメインテーマなので、記事ごとのクオリティはそんなに高くない。それでもブログである以上はやっぱり他人に読んでもらいたいと思っているので、あまりに記事としての出来がひどいもの…

中身の年齢は自分次第

年齢ってなんだろね 年齢というものは極めて特殊な人間の側面であるように思う。なぜなら、それは変わるからである。しかもみんな一緒に同じ向きに同じ速さで変わっていくのである。こんな現象、年齢以外では見られないだろう。性別や人種や出身地などは、ず…

目標と手段のベストバランス

手段大事 目標に対しての手段、私はそれにひどく拘る。目標を叶えられるならなんでもいいという訳にはいかない。私の人生においての最重要事項は死ぬときに後悔しないことなので、少なくとも道半ばで倒れ目標を叶えられずに人生の幕を閉じることになっても悔…

なりたいものに近づく方法

「そうなりたい」と「そうある」の断絶 何かに「なりたい」。そういう欲求ってなんだか変だなと思う今日この頃。だって自分が「なりたい」と思っているあれやそれはただ「そうある」だけであって、つまりは当たり前のことであるが、既に「そうある」ところの彼らは…

お休みです

久しぶりにお酒を飲んでできあがったのでお休みです。たまに飲むといいもんですねお酒は。二日酔いしませんように......。

真面目はふざけている

内容がないよう 気を抜くとついつい真面目な記事ばかり書いてしまう。真面目な自分は好きなのでいいのですけど、たまには全くなんの内容もないような記事を挟んで、その緩急を楽しみたいものである。前にも書いたことであるが、ブログを書いている時、特に真…

よいからよいのであり他のものと比べてよいのではない

非評価という存在 何かを「よい」と評価することは、他のものを「よくない」と評価したことになるだろうか。そんなことはないであろう。抽象度を下げた面白いなどの場合で考えてみれば分かりやすい。何かを面白いと評価することは、明らかに他のものを面白く…

学問と日常は相容れない

哲学は細部に宿る 哲学における細部ってものすごく大事なのだと思う。少し違うということが、そこでは全く違うということであり、少し意味を取り違えれば、それは全く別の問題について論じていることになる。曲がりなりにも哲学をかじってきた私が肌で感じる…

第二人称がいつまでも分からない

眠いので章のタイトルはテキトーです 第二人称。つまり特定の名前をもって私の人生に登場する人々。昔から今に至るまで、私はその人たちが苦手である。それについての記事は何本か書いたことがあるが、その理由を一言でまとめるなら、要するにどう接したらい…

自分を形容できる言葉は存在しない

世界で一番謎なこと 世界で一番謎なのは自分を置いて他にない。自分以外のものは「本当に存在しているか?」というところから疑えるが、自分に対してはそれをすることができない。「存在しない」と結論を出したところで、その結論を出すのは必ず自分自身なのだか…

お休みです

眠いのでお休みです。今年も残り一ヶ月、変わらずマイペースに精進していきたいと思います。