底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

2022-04-01から1ヶ月間の記事一覧

結局死をどうにもできない

二つの自分 永遠に生きていたいと願う自分がいる。死があまりに想像できないものだから恐ろしくて避けられるならそれに越したことはないと考えている。一方で今すぐに死んでしまいたい自分もいる。どうせ長くても何十年かそこらで必ず死んでしまうのだから、…

常に今ある世界が最も正しい

おかしいのは自分の認識 何かおかしい、こんなことありえない、そう感じた時には自分の認識を改める。なぜなら、そのおかしいと思うこと、ありえないと思うことが現に起きているわけだから、「こんなこと起きるはずがない」という自分の前提が間違っていた以…

祈りの意味は祈ることの内にある

祈りとは何か 祈りとはつまり何なのか。言葉で説明するのは難しい。でも、誰でも人生で一度くらいは祈ったことがきっとある。漏れそうなのにトイレが見つからない時、好きな子と初デートをする前日、試験の合格発表を捲る瞬間。本当頼む。そう心で唱えた経験…

ここという居場所を街中につくる

ここが好き 街の散策をするのが好きだ。知らない街にも知っている街にも、とにかく時間ができると外に出かけるようにしている。一つは歩くのと写真を撮るのが好きなのでその両方を叶えるため、二つは第三人称の他人に囲まれるため、そして更に三つ目の理由が…

出会いを大切にすることは不公平だが人にはそれしか道がない

出会いは不公平 出会いというのは誠に不公平である。それは完全な偶然によっているのに、人は時に自分と出会ったからというその理由だけであるものを大切にする。他の同じようなものとの違いはその偶然が起きたか否かであるだけにも関わらず自分と出会った方…

やはり人生は自分がどうしたいか

自分の考えが変わってきた 私は自分が死ぬことを知っている、だから〜しなければならない。今までずっとそんな風に自分に何かを課して死ぬことに備えなくてはいけないとあれこれ考えてきたのだけど、最近そこに少し変化が訪れた。確かに知っているが知ってい…

精神は必ず理不尽に死を迎える

現実では「なぜか」精神と肉体はリンクしている 死は肉体から考えれば必然であるが、精神にとってはそうではない。現実において精神は肉体が死ぬから「なぜか」連なって一緒に死ぬだけであり、精神が死ぬことの理由はいかなる文脈でも説明が不可能である。自分と…

人類って凄いなという話

人類ってすごい 機会があってほぼ東京を横断する形でその間の高速道路を走った。私は都会の景色が大好きである。都会の景色の良さはなんと言っても「人類」の営みと息遣いが感じられるところにある。数々のビルや道路やその他私の目に飛び込んでくる空以外の全…

お休みです

疲れたのでお休みです。引越しをしました。部屋の整理で体力の限界です。お休みなさい。

最善は今と未来のどちらに置くべきなのか

1 世界にはもっといい形がある、少なくとも今の形は理想ではないと思う一方で、たとえ最な理想に辿りついたところで、所詮は人が生まれ生きて死んでいくだけ、そしてそれは今となんら変わらない、とも思う。私は世界を少しでも善くしようと自分のできること…

不運は意地でも未来に活かす

ろくでもない大人だから… 誰も悪意がなかったのに、不運で自分が嫌な思いをする。日常ではそういうことが往々にしてある。その嫌な思いを一体どうすべきなのか、最近よく考える。表に出さずひとりでひっそり消化するのがスマートな大人のやり方と知りつつ、…

まずは自分を大切にその次に正しさを守る

欲と感情と正しさ 人間の動力となるもの、それは欲と感情の二つである。この二つはきっちりと自分のコントロール下にあるわけではない。日常ではさほど問題にならないけれども、制御が利かない時はやはり往々にしてある。人はこの二つを無下にすることができ…

自由は後からやってくる

自由とは何か 不自由よりは自由の方がいい。不自由の方がいいと言う人も、その不自由を自由に享受したいということであるのだから、やはり不自由よりは自由であるに越したことはない。でも自由というのはすごく難しい、何が難しいかと言えば、現に外から強制…

人生とは一面で甘えを正当化していくことである

私は自分に甘い 私はとても弱いと思う。自分の身を決して自分で守る事ができないという身体的なところから、少しの恐怖や強制からでもすぐに逃げ出したいと思う精神的なところまで、強いと言えるのはその逃げ足の速さくらいである。ちなみに身体的にはとても…

自分の全てを引き受けられる大人になりたい(手遅れ)

三種類の行為 何かの行為をやることはおよそ三種類に分けることができる。やりたくてやったこと、やりたくないけどやったこと、無意識でやったことの三つだ。その三つのやったことが悪い結果を引き起こした場合を考えて、さてどれが一番素直に頭を下げられる…

善人しかいないと信じていたい

信じていたい この世には善人しかいない。ただ善の形が人それぞれ違うのと、善くあろうとしたけれども様々な要因で失敗して結果的に歪な形になってしまった人がいるだけだ。そう書くのは世界の現状からしてあまりに綺麗事と思うが、少なくとも私はそう信じて…

お休みです

眠いのでお休みです。一言すら書くことが思いつかない。おやすみなさい。

当たり前になって欲しいから当たり前として生きていく

感謝と同情 当たり前なことに感謝しなさい。そう教えられてきた人は多いのではないかと思う。食べ物しかり、自然の環境しかり、人との関りしかり、とにかく当たり前に見えることは実は全て当たり前ではないから感謝の心を持ちましょう、ということなのだろう…

同じことは何度書いてもいい

同じことは何度書いてもいい 半分は本当に思っていて、もう半分は免罪符として、同じことは何度書いてもいいと私は思う。むしろブログとはある意味で同じものを書き続ける営みそのものであり、同じである中の小さな違いを楽しんでもらうことがそれぞれの記事…

自分がある人には自分がない

味わい深い 「自分があって素敵ですね」というような褒め言葉を耳にすることがある。自分があるとは一般的に、何かに独特な拘りを持っているとか、好き嫌いがはっきりしているとか、人生に対しての強い意志があるとか、そういったことを指して言われているの…

自分を否定する自分はどうするのが正解なのか

どっちだろう 自己肯定感が高いとは「自分を否定している自分」が出現した場合に、それ自体を更に否定して徹底的に戦うことなのだろうか、それとも「自分を否定している自分」さえも肯定しその全てを受け入れることなのだろうか。これ結構悩ましい。そもそも…

下手くそ自体は恥ずかしいことではない

七年間歌声を封印しています 上手にできないのにあることをする、それを私はとても恥ずかしいと思ってしまう。音痴を理由に歌うことはもうかれこれ七年くらいはしていない。その前にはよく曲を口ずさむこともあったので、歌うこと自体はたぶんそれなりに好き…

前提は前提されている

前提は前提されている 人にも世界にも、前提というものがある。前提には根拠が必要ない。とにもかくにも、それを当たり前とするのがまさに前提の意味だからである。自分は生きている。世界は存在している。それらは根拠など少しもいらないくらいに自明なので…

主語はなぜ必要なのだろうか

主語はなぜ必要なのだろうか 大胆に問を掲げてみる。ズバリ主語はなぜ必要なのだろうか。何かをしているならそれをしているところの主体は常に最初から私でしかありえないのは自明な事実である。何かを話しているなら話しているのは常に私でしかありえない。…

お馴染みの書くことについての記事

いつの間にか変わってしまった shikouzakki.hatenablog.comこんな記事を書いておいてなんですが、最近は夜に書くとどうしてもぐだってしまうので、試しに昼間にあげてみようと思う。ブログに休みが続いているのは、そのぐだぐだのせいである。決して私がサボ…

お休みです

調子が悪いのでまたまたお休みです。長引かせないように気をつけたい。

好きとは何かについて考えるつもりだった記事

好きと必要 何かを好きであることと、何かが必要であることは避けがたくピッタリと張り付いている。好きであるならそれを必要とすることからは決して逃れられない。なぜなら、それがあるものを好きと言えるための最低条件だからである。好きではあるけれど別…

お休みです

眠いのでお休みです。新年度の始まりいうていつも通り何も変わらないので、これからもぼちぼちゆったりマイペースにやっていきます。今年度もどうか弊ブログよろしくお願い致します。

自由において私と他人は一蓮托生

私が自由であるためには 私が私を自由だと言えるためには、私一人だけが自由であるのではダメである。自由とは他からの強制を受けないということであるから、例えば目の前にひどく困っている人が出現すると、それだけで私はもう自由ではなくなってしまう。そ…

自覚について考える

自覚の力は凄まじい 誰かにイライラしている時、相手から「イライラさせてるよね、ごめん。」の一言が聞けるだけで、そのイライラは嘘みたいにスーッと引いていく。「自覚」の力はかくも凄まじい。事態が何も改善されなくとも、相手が自分の置かれている状況…