底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧

人間を二分することの意味

1 人は人間を二分するのが大好きだ。やれ勝ち組負け組だの、根明根暗だの、幸不幸だの、頭の良し悪しだの、才能があるかどうか、美貌があるかどうか、お金があるかどうか…。挙げればキリがない。きっと二分すると、「価値」の有る無しを簡単に決められるから…

よりよい世の中とよりよい人生

1 私は世の中にはよりよくなって欲しいと思う。より多くの人が幸せに、自分の望む生を歩めるようになったらいいなと思う。でもそれを望む中で自分に何ができるだろうかと考えた途端、なんだか酷く烏滸がましいような気がしてくる。世の中のために何かできる…

因果と不運についての話〜糞を添えて〜

くそくらえ ある日ただ散歩に行こうと思い立って家を出た。歩道を歩いていると突然「ボトッ」という音がして、それと同時に頭に僅かな感触があった。確認するように手でその箇所に触れてみて分かった。それは鳥の糞であったと…。というのは、この時鳥の糞を…

長期的なやりたいことについて

1 突発的にやりたいことなら、やりたい!という気持ちの勢いのままにやってしまえるけれど、長期的なやりたいはそうはいかない。それはむしろいつも突発的なやりたいこととの戦いである。突発的な衝動をいかに押さえ込んで、いかに我慢して、いかに打ち消す…

いいことを教えるはいいこと?

いいことを教えるはいいこと? いいことを教える、は必ずいいことだろうか。普通に考えれば、その通りだろう。教える内容がいいことである限りいいことであるはずに違いない。少なくとも悪いことにはなり得ないはずだ。だっていいことを教えるのですよ。いい…

理想は知らず知らずのうちに

今日は理想のお話 理想を叶えるというのは酷く難しい。それ故に理想は理想なのであるから、これは当たり前なのだけど、せめて死ぬまでに一回くらいは「理想が叶った!」と心から叫んでみたいものだ。それが私の理想。叶うかな。難しそう。だって理想だからね…

今の自分に満足することと上を目指して変化していくことは両立できる?

どちらかしか選べない? 今の自分に対して満足することと、もっと上を目指して変化していくという二つのことは、両立可能な事態だろうか。感覚的にはどうも無理そう。満足しているならもう変化したいとは望まないはずだし、変化したいと望むのはつまり今に満…

いいものを見せるといい見せ方をする

いいものといい見せ方 いいものを見せるということと、いい見せ方をするということは全然違うはずだ。定義的には、いいものはどんな見せ方をしてもいいものであるし、どんなものをいい見せ方しても、それはいい見せ方であるだけで、元のもののよしあしとは全…

本物と偽物についての雑記

偽物の偽物たる理由 偽物はなぜ偽物と呼ばれるのか、それは偏に本物のようで本物ではないからであろう。注目すべきは「本物ではない」の方ではなく、「本物のようで」の方である。つまりは本物に似ていることが問題なのだ。偽物が偽物である最大の理由は、本…

五百記事達成した!やったね!

五百記事達成した!やったね! ついに五百記事を迎えることとなりました。おめでとう私。うーん…まじか。いつかこの日が来るとは分かってたけれど、いざ目の前にすると全く現実みがないな。五百も書いたんかわれえ。五十記事達成した!って驚いてた時の自分…

書くことにまだ残されている良さはなんだろう

書くことと話すこと 書くことは話すことに比べて、受け手から送り手に伝わる時間的ラグが大きい。いい意味で言えば、何百年何千年前を超えて届くことさえあるくらいに時間を超える力を持っている。だが逆に言えば、それは今同じ時を生きている人には不向きで…

約束を守ることは大事という当たり前

1 約束というものを人はとても重んじる。約束とは記憶に直結するものだからだ。記憶とは人のアイデンティティの根幹である。顔や背格好や性格や言葉遣いや振る舞いなんてものとは比べ物にならない遥か中心で自分のことを支えている。他のものと違って、記憶…

上手や下手の正体と上手以上についてのお話

超久しぶりに貼りました 鑑賞する側には作品に上手や下手などの優劣はつけられない。だって作品の優劣は作り手の理想が落とし込められているかで決まるから、と以前書いた。詳しくは下の記事参照。そういえば自分の過去記事をを貼り付けるの随分久しぶりだな…

ポイッとネットの海に投げとけばいいやの記事

1 あのーちょっとあなた、ここに来てブログサボりすぎじゃないかい。十一月は今日でやっと折り返しなのですよ。それなのにもう三回は休んでるって、この調子じゃ今月は過去最多の六回も休むことになるじゃないか。やめてくれよ。そんな不名誉な記録を更新す…

優しさは見かけでは分からない

優しさは思い 相手を不快にさせないようにすることだけが優しさなのではない。時には自分の思いの丈を実直にぶつけたり、厳しい言葉を投げかけるのも優しさの一つである。行為の形式、つまりどんな行為になら優しさがあるのか、という問いの立て方では優しさ…

なぜ自分が死ぬと知っている

一体いつから自分は死ぬのだと錯覚していた 私はいつから自分は死ぬのだと思い始めたのだろう。思い出そうとしても全然思い出せない。とにかくいつの間にか気づいた時には、もう自分は絶対に死ぬのだと思っていて、そのために生き急ぐようになってしまってい…

人生から苦しみをなくすには

そうじゃないんだよ 人生から苦しみをなくすには、人生そのものをなくしてしまうのが最も手っ取り早い。けど、こんな答えはたぶん誰も求めていない。きっと「そうじゃないんだよ」と言いたくなるはず。でもやっぱりそれが最も手っ取り早く且つ最も効果的であ…

人は道具ではないが道具でしかない

道具であるけど道具であるだけ 人は道具だ。人は誰しも他人を利用することでしか生きてはいけない。ただその利用の幅が広いだけである。利用には見えないような利用の仕方があるだけである。どれだけ丁寧に扱っても、どれだけ大切にしていても、それは広義的…

社会人って誰のことなんだろうか

堂々と書く話じゃないな 前にもどこかで書いた気がするが、私は就活というものをしていない。その理由は単純に働きたくなかったからだ。働きたくないのに、その書類の準備やら面接の練習やらをする気力がどうしても湧かなかった。働いてくれって社会の方から…

人生を始められる人始められない人

1 生きているけど、まだ人生を始められていない人ってどのくらいいるんだろうか。分からないけど、少なくとも私はその一人だ。私の人生はまだ始まっていない、始められていない。何かを始めるにはスタートラインに立つ必要があるから。私はまだそのスタート…

ブログの役割とはなんだろうか

文章のそれぞれの形 文章には色々な形がある。日記や詩や小説や新聞や専門書やエッセイやSNSのつぶやきなどなど、種類は実に豊富である。それぞれにそれぞれの役割があり、果たしている意味がある。じゃあブログは?ブログは文章としてどんな意味を持ってい…

奇跡だから人生を悪くないなと思える

悪くない人生 私はこのまま死ぬんだろうか。最期まで今となんにも変わらないで人生の幕を閉じるのだろうか。なんとなくそんな気がする。だって、そうだろうなと既に自分で思っているから。それでも別に悪くないなと思えているから。あと何十年か何年か何ヶ月…

ブログに対する愛がない

1 最近愛がありませんね。このブログに対する愛が。とりあえず千字書いて、書いたっていう事実だけ作りあげればもうそれでいいって思ってるでしょ。いやーご名答。さすが私。心の中まで筒抜けですね。えへへ。いやーお恥ずかしい。えっとあれ、なんの話しで…

意味のあること意味のないこと

ウトウトしながら文章をお送りしております 意味のないことが好きだ。道の遠回りやお金の無駄遣い、ただただぼーっと過ごしたり趣味に没頭している時間、そういう生きていく上では全く必要のない、自分のやりたいや自分の心地良さに全振りしたような事柄は、…

十一月になりましたね雑談

十一月になりましたね。恒例の雑談記事の日です。ブログに対するやる気は相変わらず底辺を這いずり回っていて、十月はなんと五日も休んでしまいました。おいおい、このままやめる勢いじゃね。やばいやばい。気を引き締めるつもりはないが、やばいやばい。で…