底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

多数派と少数派について

1 大抵の物事には多数派と少数派がある。けれども、それは細かいところを詰めていないがために、そう分かれているように見えるだけである。例えばある物事に対して、一口に賛成と言っても、その理由は様々であるし、条件付きの人がいたり、賛成度合いもきっ…

人生は一度きりだから?

1 人生を何か大切なもののように語る時、「人生は一度きり」という文言がよく使われているのを見る。人生は一度きりだからやりたいことをやろうとか、人生は一度きりだから後悔のないように生きようとか、そんなフレーズが多く飛び込んでくる。けれども、そ…

自分にとっての書くことの変化

書くことは 以前の私にとって書くということは自分を書き記すことだった。それはつまり書くことを自分の外側に配置し、自分をこそ書くことの中に入れるという作業であった。だからこそ、それは毎日為されなくてはならなかった。書かなければ自分がそこで終わ…

この世で最も兼用であり専用であるもの

言葉は兼用 前回に関連した話。この世で最も兼用であり、最も専用であるものは言葉だろう。言葉ほど多くの物事に用いられるものはなく、言葉ほど一つの物事を正確に表せられるものもない。だが言葉は必ず兼用だ。たった一つのものを表す専用であることは決し…

兼用と専用について

兼用と専用 兼用というのはとても便利なことだ。一つのもので二つ以上の物事に役立てるなんて、本当に素晴らしいという他ない。けれど、これは貧しさの象徴であったりもする。専用のものが持てないからこそ兼用でしのごうとするのだと、そう見ることもできる…

本気ということについて

1 本気というのは面白い概念で、それはいつも後から書き換えが可能である。あの時は本気だったとか、あの時は本気じゃなかったとか、どういう風に過去に読み込みたいかで、どちらにも解釈できるようになっている。「あの時はああ言ったが、口をついて出た言…

普通の人はすごい

普通の人はすごい 普通の人というのはすごいなと常日頃思う。私は普通の人のようにはなれない。まず、他人との何気ない会話を楽しむ心を持てない。他人と会話をする時、私はいつも自身の自尊心の壊れを恐れており、それが壊れぬように気を張るので精一杯であ…

当事者について

当事者 「当事者」という言葉がある。その事に直接関係する者という意味の言葉だそうな。どうも近頃この言葉には、それだけではない意味が込められているような感じがする。なんというか「当事者が言っているのだから」となると、誰もそれ以上何かを言っては…

正しいことを書きましょう

笑えない 書きましょうとは書いたが、さて、何を書きましょう。困ったことに最近何も考えていないですからね。別に考えたことだけしか書いてはいけないなんてルールはないですけど、やっぱり考えた実りあるものを書いていきたいじゃないですか。お前程度の頭…

書きましょう

お久しぶりです 書かない人生の方が幸せであるのは言うまでもない。その上で書くことを選ぶのは、つまり自分の幸せなんかよりもずっと大事なものがあるからだ。死を胸中に浮かべるなら、これは誰しもが抱える思いのはずだ。幸せは死によって奪い去られる。だ…

生きにくい世の中や人生があるのではない

1 この頃、生きにくい世の中だとか、生きにくい人生だとか、そういうフレーズをやたら見聞きする。これ、個人的には不思議である。だって、元々そういうものではないか。生きにくい世の中や人生があるのではなく、世の中や人生というものがそもそも生きにく…

お互いに努力をしてこそ正常に機能する言葉

1 「気持ちだけで嬉しいよ」という言葉がある。これは本当に難しい言葉だ。なぜなら、本当に気持ち「だけ」であるなら、およそ、その気持ちを感じとることは本人以外、誰にもできないからである。気持ちを相手に感じさせるためには、それに伴った行動が必要…

どうにもできないことはどうにかできることと繋がっている

1 自分の意志とは関係なく、してしまうことが人にはある。不安に思っても意味がないと分かっているのに、ついそれを何度も想像してしまったり。他人を悪く言っても仕方が無いのに、つい口をついて雑言を吐いてしまったり。自分のプラスにならないと知りなが…

現実は甘くないという甘々な現実

1 人生で最も大切なことはつまるところ、自分の思う幸せや楽しさを壊さないこと、見失わないこと、手放さないことであると思う。それを犠牲にするような、それが分からなくなるような、そこから目を背き続けるような生活が、結局は自らを惨めにさせ、他者へ…

自分を愛すために世界を愛さなくちゃならない

1 人間が狂うのはいつだって自己愛が破壊された時である。自分の理想とする自分と現実の自分があまりに乖離した時、人はそれに耐えきれず理性を失う。理想の自分に近づくためのあらゆる努力を放棄し、理想の自分にしてくれない世界の方を恨み否定するように…

哲学は答えがないからこそ始まる

哲学の問 哲学の問には答えがない。だから多くの人にとってそれは無意味な活動に映る。いくら問うたところで分からないのだし、時間をかけても仕方がないだろうと思うわけである。答えを出すことだけに意味を見出すなら、哲学が無意味であるというのは、無論…

死にたくない

1 結局私はいつまでも死ぬのが怖くてたまらない。できることなら死にたくないと毎日思う。それでも必ず死ぬことはやはり自明であるから、どうにかこうにか受け入れていかなければならない。何をしたら私は死んでもいいと思えるのだろう。何回も何回も考えて…

自分だけは大丈夫と信じながらもできることはしておこう

無根拠な信仰 どれだけ平和な国や時代においても事故や事件というのは毎日どこかで起きている。どれだけ医療や科学が発展していても、病気や障害などはやはりなくなるものではない。今、平穏と健康を持って生きられている人は、本人の意識や努力など以前に、…

自分と他人を分かつものは何もない

自虐的には生きたくない 他人を非難したり、蔑んだり、何かマイナスな態度をとることはなるべく避けたいと思う。他人と自分を分けるものはつまるところ、「現になぜかこの人が私だった」という事実だけであって、目の前にいるこの人も、職場でいつも会うあの…

普通と変

普通と変 世の中には普通の人と変な人がいるのではない。どんな人でも近づいてよくよく見ると、変に思えるポイントが出てきて、遠ざかっていけばいくほど普通に見えてくるだけである。それは見る距離と見る時間の長さによって大きく変わることであって、見ら…

それは本当に価値観なのか

1 価値観とは事実に対する個人の感性や考えである。それは必ず事実に根差していなければならず、もうしそうでないなら、幻想や妄想の類に含まれるだけである。りんごを美味しいと感じるかまずいと感じるかは個々人の価値観に他ならないが、りんごをトマトだ…

まずは同じ世界に生きなければならない

1 私達は同じ一つの世界に生きているようで、その実、全く異なる世界を各人がそれぞれに生きているだけである。視点がある一人の人間に固定されているのだから、これはある意味で当然な話だ。誰だって自分と呼ばれる人の内側しか覗けず、他人に対してはその…

自分の中にだけ吹く向かい風

1 人間には向かい風が必要である。向かい風がなければ、追い風がどんなにありがたいものなのかを実感できない。風がない状況の平穏さも忘れてしまう。向かい風が一切ない人生に、もはや自分はいない。向かい風に強く吹かれるからこそ、自分という存在がそこ…

不安とは仲良くしよう

1 漠然とした不安というのが人生にはある。何が原因かはっきりとは言えない、言えないのだけれどとにかく不安でたまらないという状態のことだ。この不安はもちろん容易にはとり除けない。いやそもそも根源的に取り除くのは無理だとさえ言える。なぜならその…

皆様お久しぶりです

1 皆様お久しぶりです。いかがお過ごしでしょうか。ふと思い出し、ブログを立ち上げました。最後の記事はなんともう二ヶ月以上も前なんですね。もうそんなに経ったのかというべきか、まだそんなもんなのかと思うべきか、自分でもよく分かりません。率直な感…

世の中そういうものだから

1 「世の中そういうものだから」という言葉、誰しも人生で一度は耳にしたことがあるのではないか。そういうものだから、仕方がないことなのよ、後に続く言葉はそんなところだろうか。しかし、よくよく考えてみると、世の中というのは常に移り変わってきた。…

四月になりましたね雑談

1 四月になりましたね。というかもう十日ですね。ついにどうにもならないほどのお休みをしてしまいました。何を言ってももう書くことからすっかり気持ちが離れているのだろうと思います。お休みしている間、私が何をしていたのかと言えば、ただ普通に暮らし…

他人に対する判断をどのようにするか

1 本人の意志によらない生まれつきや育ちの影響で、後天的には中々変えられない部分でその人の何かを断定するのは理不尽であり、偏にそうするべきでない。という言説はとても正しいように思う。理由は言うまでもないが、単純にそれが本人の望んだものではな…

配慮はする側の親切

1 配慮というのは、それをする側の親切と美学であって、される側の権利ではない。履き違えてはいけないところだと思う。そこに道徳を持ち込み、自分たちは配慮されなければならないと主張するのはとても醜いことであって、偏に人としての品性が欠けているの…

何もしていないから悪いということもある

1 「何もしていないから自分は悪くない」という言葉がある。何もしていないのだから自分は端的に関係がないといった意味なのだろう。何もしていないのだから、何も影響を及ぼすはずがない。それがどうなっていようとも、自分がやったのでないことだけは確か…