底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧

五月が終わるということでただの雑談(書きたかっただけ)

一時間で三百三十三文字一分で五文字… 特になんの節目でもありませんが、五月が終わることにかこつけて、ここいらでゆるーく雑談記事を挟みたいと思います。思えばブログを始めた当初は、毎回雑談のような記事に少しばかり自分の思索を織り交ぜるスタイルだ…

性格って本当にあるの?

性格って本当にあるの? 性格というものをあまり信じていない。ある人にある特有の性質が備わっていて、しかもそれが一生涯変わらないなんてこと実際にはあるのかもしれないけど、でもたまたまだろうと思う。意識的に変えるのが難しいとしても、変わることは…

我慢は必ず自分のためにする

1 自分が少しの我慢をすれば場が丸く収まるだろうということ。人生で誰しも結構な頻度で経験すると思う。ちょっと嫌だけど、それを言っても自分以外の誰も得しないしなぁと言葉を飲み込んで、何もなかったことにしてしまう。これ本当によくない対処法である…

お休みです

千字書く気力がまるでないのでお休みです。五月は休みが多くなる予感と前に書いたのがいけませんでしたね。こういう時だけしっかり有言実行するんだから。

迷惑はお互い様なのだから

迷惑の境目 迷惑はお互い様である。広義的に言えば迷惑をかけていない人は存在せず、存在しているだけで人は常に他人に迷惑をかけている。自分ひとりがいることで、満員電車は一人分余計にキツくなるし、食料は一人分多く必要だし、ゴミだって一人分増えてし…

世界は自分が想像ているよりもずっと広い

サラリーマン以外の生き方があるなんて知らなかった 私が大人になって思うことの一つに、世界は自分が想像しているよりもずっと広いということがある。小さい頃大人はみんなサラリーマンになるしか道がないと思っていた。それで何十年か働いて定年退職し老後…

世界も自分も大事にしたい(激難)

人は矛盾している 世界も自分も大事にする。それだけの事が人間には叶えられない。なぜなら自意識がある人間にとって、世界の中の自分は半分でしかないからである。宇宙があり地球があり様々な動植物がいて、人間がいる。自分はその中のひとりだ。これが本来…

ブログは自分を多少マシにする

ブログは救い 死の焦りがあるのに、相変わらずの今を生きていて、そのことにもっと焦りを覚える。今日も全然無に近づけなかったことにビクビクして、死にたくないと思いながら、今こうしてブログを書いている。この時間だけは少し気が楽である。なんとなくあ…

お休みです

憂鬱で書けそうにないのでお休みです。

隠せない弱みはバレる前に自ら見せる

弱みの見せ時 弱みとはつまり「そこに触れられるとダメージを受ける」の意味であるから、生物的な観点から言って当然隠している方がよいだろう。でもこれは隠せる見込みがある場合に限られる。人間の場合隠せないのに無理に隠そうとすると挙動が怪しくなり余…

上手にできなくともできる

二種類のできない 「できない」という言葉は大雑把に分けると二通りの意味がある。物理的にどう足掻いてもできないことと、熟練度やセンスがないために上手にできないことである。前者が本当の意味のできないで、後者は一応できるけれども、これをできるとする…

大切なのは魂か命か

かっこいいけど大抵は嘘 例えば目の前に悪党がいて、そいつに殺されようとしている時、「お前に殺されても私の何が傷つく訳でもない、一向に構わんぞ」とする態度には一定のかっこよさがあるだろう。私の魂や誇りはお前なんぞの届くところにはない、殺されたと…

近況を語っただけの記事

今日はだらだらの日です 書きたいと思っていたことが上手く書けず、三度くらい書き直しても納得いかなかったので、振り切って思いつくままにだらだら書いていくことにします。この頃ますます死に囚われてしまって精神が底に落ちている。あぁ今にでも死んでし…

否定の矛盾とその正しい使い方について

否定の矛盾 否定という概念の矛盾について考える。何かを「そうではない」と言うためには、まずその何かが「現状どうであるのか」について知っていなければならない。しかし知ってしまった時点で、それはその存在を肯定することになりはしないだろうか。そのもの…

思考の範囲を限定する

思考の使いどころ 思考はすればするほど良いものだ。時間的な制限がないのなら、どんな物事においてもとことん考えてから答えを出すべきだろう。考えすぎるなんて言葉があるが、そんなことは無い。どれだけ考えてもむしろ足りないくらいである。考えたら考え…

快楽と人間の尊厳について

快楽に「溺れる」 快楽というのは単純によいものであるはずなのに、それに浸ることを人は「溺れる」と表現する。つまり何か少し悪いことであるような、ずっとそれではいけないような感じをそこから読み取ることができるのである。快楽に溺れる生は少なくとも快…

私が本を読んでいるのか本が私に語りかけているのか

心地のいい時間 例えば本を読んでいる時、私が本を読んでいるのか、本が私に語りかけているのか、しばしば分からなくなる。同様にブログを書いている時も、私が文章を書いているのか、文章の方が私の手を動かしているのか、分からない。写真を撮っている時も…

個人主義は主義ではない

私は個人主義? 人それぞれ正しいと思うことは全く違うので、他人に何か自分の思う正しさを強要したり説得しようとしたりするのは意味がないと私的には考えている。そのため普段何かの主義を掲げることは全くないのだが、まさにそれこそが私の主義とも言える…

お休みです

疲れたのでお休みです。五月は休みが多くなる予感…。

排除したいものは認識しなければいい

アウトオブ眼中ってもう死語かな 何かを排除したいと考えた時、一番手っ取り早い方法はそれをそもそも認識しないことである。わざわざ実際にその存在を取り除くよりも、認識しなければそれだけでないことになるのだから、こんなに楽な手段はない。それができ…

努力は世界にあらざるを得ない

言葉の定義から 「努力も才能だろ」という論争をしばしば見かけることがある。こういう論争は大抵埒が明かない。その原因はほとんどの場合、言葉が明確に定義されていないためだろう。何をもって努力とするのか、何をもって才能と呼ぶのか。それを確認しない…

ブログから考える人生の意味

回り回ってると信じたい 夜中の三時にブログのたった一文の言い回しがどうしても気に入らなくて、何度も考えては書き直している自分、冷静に考えると本当なにやってるんだと思う。朝から仕事もあるのに、どうせ気になっているのは自分だけなのに、書いては消…

手が届く範囲のものだけを見る

関係における客観と主観 世界のほとんどのことは自分と関係がない。自分ひとりが関わっているものなんて世界にとってみれば本当に限られた微小な範囲である。だがこれは客観的な話に過ぎない。主観的に見れば、見えている世界の全てが自分を起点に開けている…

抗えないものなのにそれを受け入れられない時の対処法

どうにもならないけど割り切れない どれだけ死にたくなくとも、死は必ずやってくる。それはもうどうにもできない。老いることや病気なども同じで、どれだけそうなりたくなくとも、なる時はなってしまう。そのような自分の力ではどうにもできないものが人生に…

【今週のお題】ブログをサボりたい

サボることをサボる方が簡単 ここ最近ブログに対してのやる気がすっかり地を這っている。それでも何かと続いているのは、偏にこのブログの緩さ故なのだと思う。目的もターゲットも書く内容も投稿時間もおよそ全てが決まっていないから、やる気などなくとも自…

愛は難しい

1 愛するということの難しさを考えている。愛を持つ、そこまでは至極簡単であるのに、じゃあ愛を持って実際に何かをしなさいと言われた途端に一体何をどうしたら良いのか、さっぱり分からなくなってしまう。何もない空間にひとりでなら、全世界に思いを馳せ…

お休みです

眠いのでまたまたお休みです。一日働いたら休み一日働いたら休み一日働いたら休み。頑張るぞ…。

だいたい同じで十分

僅かな差異が気になってしまう 言葉がありすぎたせいで人と人がすれ違う。そういう現象を時たま目にすることがある。好きか嫌いかという大きな括りで見れば同じ好きであることに変わりはないのに「どう好きか」や「どれくらい好きか」などが食い違って軋轢が…

正しさの正しい扱い方とは何か

正しさの正しい扱い方とは何か ここに一つの正しいことがある。内容はともあれとにかく正しいのだということが一つある。さてこの場合、その正しいことを一体どう扱うのが正しいのだろうか。自分ひとりでそれに従って生きる?他人にもそれを広める?正しいこ…

お休みです

眠いのでお休みです。ゴールデンウィークですがいつもと何も変わりません。お休みなさい。