底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

よりよい世の中とよりよい人生

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私は世の中にはよりよくなって欲しいと思う。より多くの人が幸せに、自分の望む生を歩めるようになったらいいなと思う。でもそれを望む中で自分に何ができるだろうかと考えた途端、なんだか酷く烏滸がましいような気がしてくる。世の中のために何かできる?たかが一人の人間でしかない私が?人間の中でも出来が悪くて馬鹿な頭をしている私が?思い上がりもいいところだろう。迷惑をかけないだけで上等だ。よりよくするために何をするのが正解なのか。とてもじゃないが私の頭で考えられるような問題じゃない。そもそも今の世の中がどうなっているのかさえよく知らないし、知っていこうという気持ちもない。自分の興味あるところにしか興味がない。そんな奴が世の中のためを思って行動してみても、きっと裏目に出るに違いない。

 

2

よく知りもしない他人を思いやる、そのこと自体にそもそも汚らわしさを感じずにはいられない。少なくとも私がそうされたら嫌だなと思う。だって、いやあなた誰だよという気持ちにしかならないもん。的確なアドバイスや心に寄り添うような言葉をくれたとしても、きっと聞く耳を持てない。事情をよく知らないのだから勝手なこと言わないでくれ。そんな思いがまず何よりも先行してしまう。

 

 

3

自分の人生をよりよくする。これならまだ世の中をよりよくするよりはできそうな気がする。自分の人生とて微小ではあるものの世の中の一部なのだから、それをよりよくするのは、結果的に世の中をよりよくしていることになると言ってもいいかもしれない。しかも相手が自分なら、そこには烏滸がましさも汚らわしさも別にないはずだし。でも自分の人生をよりよくするって結局何をすればいいのかな。個人的には自分のしたいことをする、それに尽きると思う。どんな崇高な理念も、どんな矮小な欲求も、個人の選択の前では同じことだから。

 

 

4

人間とは不思議なもので、なぜか自分のしたいことよりも「すべき」なことに縛られている方が楽だったりする。常識とか体裁とか強迫観念とかそういう他から与えられたものに自分を押し込んで、多少の文句を垂れて生きている方が自分のしたいことをやっていくよりもうーんと簡単だったりする。それは流されているだけでいいからだ。責任を負わなくてもいい気がするからだ。よりよい人生を送るとは、つまりその流れを一度堰き止めて、自分の頭で考え直していくことなのではないだろうか。自分の選択として何を残したいのか、紛れもない自分自身が一度きりの人生の中でしていきたいことは何なのかと見つけ実行していく。よりよい人生ってそんなだと思う。