底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

書くことについてのブログ(n回目)

思い上がり

あー筆が進まない。ブログを始める前はこの世は無限なのだからネタはあちこちに落ちてる、一日一つくらいは何か思い浮かぶだろ、私ならずっと書ける、そう思っていたのに書き始めてみてそんなに甘くないなと痛感した。

 

 

書くことがなんにもない

私の生活は全然彩りと変化がないので、書くことはほとんど頭の中から引っ張り出す必要があるのだが、如何せん私は記憶力が悪い。加えて普段意識的に考えていることなどまったくなく、いつもただ受動的に流れてくる考えや思いの中に漂っているだけなので、いざ書こうとしてもなんにも思い出せやしない。

 

 

本を読む時さえ

本を読む時も、私は特に何かを知りたいわけじゃないし、目的も持っていないので、この本には〇〇という概念が書かれていたとか、あの本の〇〇の考え方は大変参考になったとか、そういったことが全くない。私はただご飯を食べるのと同じように本を読んでいる。胃袋に入ったご飯が放っておいても私の血と肉になるように、本に書かれていることも勝手に私の理性や精神の一部になっている。

 

 

書くことだけ逸脱してる

今のところ書くという行為だけが、そういった私の自然的な生活のサイクルから外れている。だからこそ、いつまでも私を悩ませる。書くという行為をどう位置づけたらいいのか、どこにどれくらいの分量でおくのが最も自然か、いつまでも考えている。このまま書くことを諦めなければ、いずれ私の生活に馴染む時が来る、そう信じたい。早く楽になりたい。思考停止状態でもスラスラ文章を書けるようになりたい。そうして書かれた文章に如何程の価値があるかとかそういう話はとりあえず置いとくとして、とにかくもう書くことで悩みたくない。なんで私は書く以外のことには少しも理想とか葛藤とかないのに、書くことにはこうもこだわっているんだ?こんなに悩むのだったら書かなきゃいいじゃないか。

 

 

書くは道連れ

身構えずに文章が書けるって一体どんな特殊能力なんだ。ブログや他の文章を書いている人は皆そんな能力を持っているのだろうか。それともやっぱり皆も私みたいに悩んで悩んで、出口が永遠見つからないまま歯を食いしばって書いているのだろうか?できれば後者であって欲しい。それならすごく頑張れる。

 

 

私は楽に生きたいだけなんじゃ

いずれにしても私は書くことによって叶えたい自己があるのだろう。それがどんな自己なのか今のところさっぱり分かっていないが、書き続けることでしか見えてこないことは明白である。こんなに何かに固執するのは生まれて初めてかもしれない。その意味で貴重な経験ではある。だからこそ、貴重と思えるうちに終わってくれ。悩むのはもうコリゴリである。

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