底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

存在しない記憶

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ここ最近ブログを開く機会も増えたので、自分の過去の記事を何個か読み返していた。私ってこんな良い文章書いてたんだなぁと改めて驚いた。本当に自分が書いたのかと疑いたくなるほどに、素晴らしい出来だ。今の私にこんな文章が書けるのか?と自問してみたが、とても無理そうだ。過去の自分がどうやって書いていたのか今となってはもう全然分からない。私は自分のことを、日々生きているだけで、生きている日数を最も積み重ねてきた分、なんとなく常に今最新の自分が一番優れている気でいたけど、そんなことは全くなかったなぁと過去の自分に深く脱帽した。

 

 

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今の自分は過去の自分を全て経験してきたのだから、その意味で過去の自分は今の自分の進化前でしかないと思っていた。でもそうじゃない。そもそも私は過去の自分を全て経験などしてきていない。その時の自分を経験したのはその時の自分であって、今の私はただそれを都合よく思い返しているだけに過ぎない。今と過去は別に現実には繋がっていない。繋がりを作りだすのはいつも人の記憶である。その意味で過去の自分はただの他人であり、今の私がそれを勝手に自分として回収しているだけに過ぎない。

 

 

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今の私には今の私にしか書けないものがある、とは思う。過去の自分は確かに素晴らしかったけれど、でも過去の自分には決して書けなかったものが今ここにある。記録とはやはり良いものだな。誰とも競争することなく、その時々の自分の真実を吐き出せばそれで良いのだから。過去の素晴らしかった記事はその過去の時の自分の真実で、今の記事は今の自分の真実であるだけだ。その意味で、記録として完全にそれらは同価値である。

 

 

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でもやはりブログ名に甘えてばかりはいられない。記録とは銘打っていても、このブログの真骨頂は思考にある。なにも自分のくだらない思いや日常を書き記すためにやっているのではない。書き記す価値のある文章をこそ残したくて始めたのだから。過去の自分を見習わないといけないな。どうやってあんな神記事(?)を連発(?)していたのかを思い返さなければ。徐々に取り戻していきましょうね。たぶん最初にやるべきことはもうはっきりしているし、今まさに私はそれをやっている。とにかく意地でも書け。どんな内容でもいいからとりあえず手を動かせ。毎日書けもしない奴が他のことを考えるな。まず土台を作り上げろ。土台ができた後で、その上でどうやって華麗に踊るか考えればいい。

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