底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

喋るのは苦手なくせに書くことも別に得意でない

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人と喋るのは苦手だ。相手の言ったことを即座に理解できないし、それに対しての自分の言いたいこともすぐには、はっきりとした形にならない。それなのに、会話は止まることなく流れ続ける。流れ続けた先で、もはや自分がどこにいるのかさえ分からない。何を口にしてきたのか、振り返りたくもない。その場ですぐに何かを言わなければならないという状況が私にとっては酷く苦痛である。全然言いたいことがちゃんと言葉となって出てこないからだ。でもまぁさすがに二十七歳ですからね。世渡りのためにもほとんど克服しましたよ。パターンという武器を私は手に入れた。こう来たらああ返す、そう来たらこう返す。会話とは、即ち反射ゲームだ。

 

 

2

苦手は克服したけれど、でもそのおかげで私は二つに分かれてしまった。会話で自分の言いたいことをきちんと喋るのを諦めた代わり、私は筆をとった。何度でもやり直しが利いて、自分の言いたいことをゆっくりゆっくり考えていける文章に自分の半分を託すことにしたのだ。普段の会話で私が喋っていることは、ただ流れを止めないための口からでまかせだ。口から出るのに任せて喋られた内容に、もう半分の私がある。文章半分、会話半分。 そうして自分を半分こすることで今日を生き延びてきた。現実で私を知る人はこのブログの存在を知らないし、このブログの存在を知るあなたは私がどこの誰であるかを知らない。二つに分けられた自分が決して交わらないように。

 

 

3

もう元には戻れない。何度書くことを捨てて現実の一つだけの自分になろうと思ってみても、結局はここに帰ってくる。一度二つに分かれてしまったものは元に戻そうとしても、ちぐはぐにしかならないらしい。ならもういっそのこと、きっぱりきっちりどっかりばっさり二つに分かれてやろうって、最近の思うところである。

 

 

4

喋るのは苦手なくせに、書くことも別に得意でない。私はたぶん今そんな立ち位置だ。書くことに自分の半分を託したのに、自分の半分も未だここには書かれていない。言葉で表現するのは喋る書くに関わらず、やはりすごく難しい。どんなにやり直しが利いて、自分の言いたいことをゆっくりゆっくり考えていける文章でも、全然百パーセントの正解が出すことができない。何度もやり直して考えているうち一日が終わりそうなので、もうこれでいっかと記事を上げる、ずっとそんな毎日である。自分の言いたいことって自分でもよく分からないんですよね。それを探るためにこそ書いているのだけども。

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