底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

十一月になりましたね雑談

 

十一月になりましたね。恒例の雑談記事の日です。ブログに対するやる気は相変わらず底辺を這いずり回っていて、十月はなんと五日も休んでしまいました。おいおい、このままやめる勢いじゃね。やばいやばい。気を引き締めるつもりはないが、やばいやばい。でもどうせ続くでしょとたかを括っているところもあって、だからやばいと言っても半分くらいは本気ではないけど、これ以上休むと続くという言葉の定義が曖昧になりそうなので、結局やばいやばい。

 

 

 

もう認めてしまいますが、このブログは最初は完全に必要性から生まれていて、書く楽しさは後付けされたものだ。そして、その必要性というのは不満をぶちまけたい、ぶちまけなければやっていけないの意味なので、例えば実生活ですっげー美味いもんが食えたり、すっげー満たされた気持ちになると、もうそれだけで書かなくていいっかなんてすぐ思って、ついつい書くことを放り出してしまう。いや、しまうなんて書いてるが、本来はいいことのはずなんだけど…。必要性に縛られない人生こそ至極なのだから。

 

 

 

それを素直にいいことだと思えないのは、自分が書くことにそれなりの正義を見出しているからなのだろう。これから一生書いていく人生とこれから一生何も書かない人生の二つで比べたとき、書いていく方が「正しい」という思いをどうしても捨てられない。何がどう正しいのかとかはよく分からないけれど、とにかく書いた方がいい、書かなきゃいけないのだと思う。たぶんあれかな。本当の意味で満たされることは有り得ないと考えているからなのかもしれない。人生の元々の無意味さ、必ず死ななければならない空虚さを前に、満足とは即ち一時の幻か、欺瞞を含んだ嘘でしかない。それらにそのまま浸ることは幸せにはなれても、「真」ではない、故に正しくない。だから、私にとっての不満をぶちまける行為=書くことは死ぬまで行われなければならない…のかな。たぶん。知らんけど。

 

 

 

正しいからする、なんて正義のヒーローみたいなこと一般人には無理無理。正しさを実践しようと思ったら普通はまず実践できる環境がなきゃいけない、のだとすると、私は常日頃、自らに不満が溜まるような生活を送らなきゃいけないということ。うーん相変わらずのドMっぷり。満たされた自分に居心地の悪さを感じてしまうのだから、まぁ本当に生粋のドMなのだろうと思う。十一月からのブログも特に何か変わることはないと思うけれど、少しだけ休みを減らしていく意識で臨んでいきたい。

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