底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

一日は長いが人生は短い

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さぁて今日は何を書こうかと一日中考えたけれど、特にこれといって何も思いつかなかったので、今日も今日とて思うまま筆を走らせていこう。私はいつも人生を長くともたかが数十年という風に書いてますが、一日一日に注目すれば、やはりすごく長く感じられるものです。特にこうして毎日絶対に何かを続けると決めていれば、日々があっという間に過ぎるなんてのはもうありません。一日が終わりを迎える前に必ずそのやることが立ちはだかり、それを乗り越えなければ、今日という日を終えることはできませんから、本当に長いものです。先月はここ最近で一番長い日々を過ごしました。

 

 

2

真っ白なブログ画面を前に、私は今日という日を振り返る。何を考え、何を思い、何が起きたのか。そうして一日を見つめ直しても、案外覚えていることは少ない。意識的に強く思い出そうとしてやっと、あぁそうだったなとなるようなことばかりで、ブログと向き合うことがなければ、ただ忘れ去られていくだけの考えや思いや出来事がこんなにもあったのかと驚くくらいである。けれど、もちろん思い出された全てがここに載るわけでもない。記事にできるものはやはりその中の極々一部に過ぎない。

 

 

3

一日はすごく長いのだと感じるけれど、人生という言葉は私にとって依然、短い響きのままである。人生とは一日一日の総体であるが、その全部の一日一日の記憶なんか私にはまるでない。常に昨日と地続きの今日を生きているだけであって、二十七年も日々を積み重ねてきた自覚は更々ない。この昨日と地続きである今日を生きられなくなることが、つまりは人生の終わりなのだろう。いつか、絶対にその終わりが来るということが人生を短く感じさせるのである。たとえそれが何十年でなくても、何百年でも何千年でも同じことだ。

 

 

4

この先まだ数十年も待っているのかと絶望することは私には全然ない。長くとも数十年しかないと、そっちに絶望することはもう数知れない。今過ごしている一日一日がいつか途切れる、いつか終わる、そう思い馳せるだけでもたまらなく悲しい。長い長い今日が永遠に続けばいいのに。今ブログを書いているこの時がずっとずっと続いて、記事が更新されることなく、明日になることもなく、時の中に閉じ込められたらどんなに良いかと思う…。でもそんなのは無理。うん知ってる。だからさっさとこの記事を書き上げて、今日という一日に終止符を打ち、同じく長い長い明日に備えて、お布団に潜りましょう。はい。おやすみなさい。

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