底辺人間記録へようこそ
最近はずっと雨だ、梅雨なんてとっくに過ぎただろうに。今日なんかは警報も出ていた。湿気のせいかは分からないが眠れずに朝を迎えた。このまま家で横になるのはなんだか癪に障るので、大雨のなか朝から出かけることにした。行先は決まっている、喫茶店だ。
好奇心の開拓の為に本を読む
この頃ずっと哲学書を読めない日々が続いている。読めないというのは気持ち的に読むのが億劫という意味である。哲学書を読むことは私的には知的好奇心を開拓する為の行為だ。こんな読み方をしているのは私くらいのもんじゃないかと思っている。普通は知的好奇心を満たすために読むのだろう。私はちっとも知的好奇心なんてない。でもなぜか時々なきゃいけない気がしてくる、ないということを気持ち悪いと感じる。
知的は便利
なぜかと書いたがおおよその検討はついている。それはたぶん私が底辺であることに関係している。社会的にも精神的にもおちこぼれなのだ。そこが引け目になっているから、どこかでその不足を補いたいのだ。「知的」というのはそのための最もてっとり早い手段である。何も実績などなくても何も資格などなくても、「私は大切なことを知っている」というマウントをゲットすることが出来る。
開き直る
そのために哲学を利用している。極めて哲学的でない態度だというのは自覚済みである。別に他の学問でも全然よかったし、なんなら学問でさえなくてもいいが、しいて言うなら哲学が面白いかなくらいの軽い気持ちなので許して頂きたい。近頃それがめんどくさくなったのは、この底辺生活もいよいよ板についてきたからということなのかもしれない。諦めがついたと言えばいいのか、或いは開き直ったと言うべきなのか。ともかく「えぇどうせ私は役立たずですよ、そもそも他人の役に立つために生きてる訳じゃないしクソッタレ」的などす黒い気持ちを自分の中で飼い慣らせるようになったということだろう。
やっぱり無理
いい事か悪いことか、成長か退化かは一旦置いとくとして、人生が格段に楽になったことは事実である。毎日ひたすら食っちゃ寝してるだけの自分に罪悪感を覚えることがないのだ。なんと幸せだろう。と、思っていたのだが、しかしなぜだか今度は何かを書きたくて仕方なくなった。やはり負い目からは逃げられないのだろうか、それともその事とは関係がないのだろうか。分からないが指が止まらないので、思いのままにとりあえず今日から書き始めてみようと思う。いつまで続くかは分からないが、続く限りは続けていきたい。