底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

哲学は他の学問と一線を画す

哲学と他の学問の違い

哲学は他の学問と明らかに一線を画す。なぜなら他の学問はすべて何かの対象の存在を確定した上で、その対象を研究しているからである。心理学なら心理という存在は確定しているのだし、経済学なら経済、物理学なら物理法則、その他哲学以外の学問は全て何かしらの対象の存在を前提しているのである。哲学だけが未だに「何があるのか」という領域に留まっているのだ。もっとも私は他の学問を勉強したことはないし、哲学とて真面目に勉強してきたわけではないので、あくまで哲学に心酔している私にはそう見えるというだけであるが。




「でない」

私が哲学に心惹かれているのもほとんどがこのためである。哲学だけがこの世界の外にある学問なのだ。「何かはある、でも何があるのだろう?」という問に永遠固執し、この世界の中に入ることを拒んでいる。心がある、意識がある、言葉がある、思いがある、認識があるなど様々な仮説を立てては、それを打ち砕く。哲学の歴史はずっとこれの繰り返しである。他の学問は「である」を積み重ねる。ひたすら「AはBである」という風な論拠を証明し、その対象に纏わることを解き明かしていく。哲学はその反対で「でない」を積み重ねる。「何かはAではない、Bでもない」という風にそもそも対象がなんであるのかを突き止めようと動いているのである。他の学問が突き当たった謎を研究するのに対して、哲学は既に自明と思われているものをわざわざ掘り起こす。そして自ら堀ったその穴を再び埋められるかと試みるのだ。完全にドMの所業である。うん、私にピッタリですね...。




大胆さと不器用さが好き

世界の中の一つなんてものたりない、世界そのものを突き止めてやろうじゃないという大胆さがとても好きである。世界という全体の輪郭がまだ分かっていないのに、その中に入って一つだけを選ぶなんておかしいだろう、と言いたげな不器用さも大変に好きである。とりあえず世界も人生も始まっているのだし、既に色々なものが目の前に「ある」ではないか、そしてどんなに疑ったとてそれは覆らない、それならもういっそのことそれを了承してしまえばいいだろう、というようなことを頑なに拒否するその態度、私には全くもって正しいと思えるのである。




私にとっての哲学の魅力

ともかく世界が存在するという巨大な謎をその外側から解き明かそうとしているのは哲学くらいのものだろう。何か一つを選ぶなんて器用な真似はできない。全部全部分かりたい、既に分かっていることさえ、もう一度きちんと分かりたい。そんな子供っぽさというかわがままで貪欲なところが私にとっての哲学の果てしない魅力である。

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