底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

現実を現実として受け止める理由はどこにある?

20時間睡眠

今日も相変わらずの雨。どんよりとした空を見上げるのもなんだか慣れてきた。昨日は喫茶店から帰って熟睡して、結局今日のお昼まで計20時間くらい眠った。おかげで体重が1キロ減っていた。眠るダイエット、うんわるくないな。夢を3個くらい見た気がするけどどれもよく覚えていない。

 

 

夢は不思議でいっぱい

夢というのは不思議なもので、その不思議さはもうあらためて言う必要も無いほどだろう。この場合においての「見る」とは一体何がみているのだろうという不思議。必ず「見た」という過去形でしか自覚できないという不思議。もちろん内容に関しても不思議であろう。目覚めてみるとなんのこっちゃと言いたくなるようなものばかりである。

 

 

夢の不思議その①

夢は絶対に目で見ているのでは無いはずだ。だって眠っている時は必ずまぶたを閉じているのだから目で見ているのだとしたら見えるのは瞼の赤黒い感じに決まっている。しかし他にどこで見る事ができようか。脳?そんなはずは無い。脳に目はついていないのだから。

 

 

夢の不思議その②

現実はなぜ夢ではないのだろうか。なぜ我々は現実を現実と捉えて生きていけるのだろうか。現実と夢を区別しているものはなんだ?そういうことを考えていると、どうも私は真面目に生きる気力が削がれる。この人生とは一体なんだ?さっぱり分からない。そんなことを言ってみるが現実の方は少しも動かず今ここにある。私は今間違いなくスマホに向き合って、文字を打っている。そう、これは紛れもなく現実なのだ。でもなぜこれは現実なのか?と問うた瞬間に分からなくなる。確実性は一体何が担保しているのだろうか?感触?見えているから?それとも他のこと?しかしどんなことを挙げても、それら全部まとめて「もしかしたら夢かもしれない」と疑うことはやはり可能であろう。現実を現実たらしめているものさえも、まるごと夢かもしれない。こんなことを疑いだしたらキリがないというのは重々承知である。しかしだからといって、この現実を現実として受けとめる理由はやはりない。

 

 

目覚めたくなかった…

目覚めると仕事の時間になっていた。休日何もしていない罪悪感に一瞬押しつぶされそうになるが、そもそも底辺の休日など生かす宛もないことにすぐ気がついた。罪悪感すら覚えられないとはなんと無益な人生か。とりあえずブログを二日続けて書くことが出来た自分を褒めたたえよう。褒めるハードルがだいぶ低めだが、そうでもしなければやってけない。凡人の以下の以下の以下、凡人と同じハードルじゃ自己嫌悪でとっくに死んでいる。

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