底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

なんだっていいじゃないどうせ死ぬしさ

原点回帰

どんよりした毎日が続いていたが、昨日考えに考えてついに吹っ切れた。何か答えが出たわけではないが、考えていることがアホらしくなってやめたのだ。原点に戻ろう。私は私。いくら考えたとて、それは変わらない。だからそれでいいのだ、それでいいと諦めるしかないのだ。自己否定したって自己嫌悪したってなんの意味もない。どんな自分も受け入れてやろうじゃないの。もちろん自分を受け入れられない自分も含めて。自信なんかなくて当たり前、だって底辺なんだもん、開き直っていく。だからと言って自分を見直さないわけじゃない。ただ変えられない部分はどうにも出来ないのだと知ること。変えられる部分で自分が変えたいと思うところだけを変えたらいい。変えなきゃいけないとは考えないこと。自分は甘やかしてなんぼ、何も目指していないなら尚更厳しくする理由はない。

 

 

なんだっていいじゃない

内容のない記事でも、何日休んでも別にいいじゃない。いくらぐーたらしたっていいじゃない。やる気がなければやらなくたっていいじゃない。罪悪感に勝ってやろうじゃないの。自分が自分であるというそれだけで罪に感じるなんて悲しいじゃない。大丈夫どうせ数十年以内に確実に死ぬんだから。将来とか未来とかそんな不安定なもの考える必要がどこにある。人生はなるようにしかならない、流れに身を任せて自分のやりたいことだけをやりゃあいい。人生の結果は死ぬ時に決まるけど、いつ死ぬかなんて分かりっこないし。

 

 

そもそもそもそもそもそも

そもそもについて考えよう。そもそも自分とは何なのか、そもそも自分には何ができて何ができないのか、そもそも何をしたくて何をしたくないのか。とても単純なことを時々とても難しく考えてしまう。できないことをやろうとしたり、したくもないことをしなきゃいけないと思ったり、自分の本質を認めたくないがためにひたらすら否定したりするから、色々ややこしくなってしまう。人生諦めが肝心。できないことはできない、したくないことはしなくていい。

 

 

もう自由を恐れない

同じような記事を何度も書いているような気がする。それだって別にいいじゃない。全部全部開き直るンゴ。成長も反省も社会的に有意義なのであって、それ以上の意味はない。一貫性を保つことも同じことを繰り返し言わないことも他人にとって意味があるだけで、私には意味がない。自己中でいいじゃない、だって事実として私の中心は常に私なんだもの。こんなふざけた口調のブログだって書いていいのさ。私は常に自由である。

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