底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

嘘をつくことと人に迷惑をかけることはどちらの方がより悪いのか

どっちだろう

善、悪、偽善、偽悪。その四つを「よい」順に並べよと言われたら、人はどう並べるだろうか。価値観によって大きく分かれそうな問題である。定義により善が一番であることは間違いない。分かれそうなのはその次からである。偽善と悪、一体そのどちらを先に置くべきなのか、結構悩ましいのではないか。偽物でもなんでもとにかく「善」であることが大事なのか、悪だろうとなんだろうととにかく「本物」であることが大事なのか。うーん難しい。

 

 

偽善よりは善

現代には「やらない善よりやる偽善」なんて言葉もあるくらいなので、もしかしたら偽善の方が先に決まってんだろ派が圧倒的に多いのかもしれない。動機や内実はともあれ、救われた人がいるのならそれでいいでしょ、ということなのだろう。確かに言わんとすることは分かる。直接的な結果だけを見れば、救われたいと望む人が実際に救われたのだから、大いによいことである。しかし、当たり前であるがそれはやはり本物の善には劣るだろう。やらない偽善よりやらない善。やる偽善よりやる善。偽善よりは善の方が「よい」に決まっているのだから、やるやらないの条件を揃えてあげれば、偽善の出る幕はそこにはないのである。善が偽善に勝る理由は、言わずもがな偽善が偽物で善が本物であるからだ。

 

 

偽悪よりは悪

悪と偽悪の場合も同じことが言える。偽物の悪は本物の悪よりも更に悪い。悪を装う、つまり悪に見られるように嘘をついているのだから、その嘘をついた分だけ本物の悪よりも悪いのである。褒められたものではないが、本物の悪は少なくとも悪であるということに対しては誠実であり、嘘はついていない。偽悪はその本物の悪が成しているたった一つの善さえやっていないのだから、当然四つの中で最悪である。

 

 

嘘をつくことと人に迷惑をかけることはどちらの方がより悪いのか

偽悪よりは悪、偽善よりは善。これはもうはっきりしている。やはり問題になるのは、偽善と悪の関係である。偽善は誰にも迷惑をかけていない。善であるふりをされて助かる人はいても困る人はいないだろうから、その分悪より「よい」と言える。だが、悪の方は少なくとも嘘をついていない。誰にも求められていないとしても誠実という善を携えて、悪は本物としてそこに存在している。だからその分、偽善より「よい」と言える。嘘をつくことと、人に迷惑をかけること、そのどちらの方がより悪いことなのだろうか。これは本当に微妙なところである。そのために、やはり個人の価値観によってしまう。嘘でもいいから救われたい派と、例え迷惑でも本当のことを知りたい派。私は前者に縋りたい時もあるけど、基本的には後者かな。たぶん。

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