底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

思考の断片よせ集め記事

初の試み

この頃肩に力が入っているせいなのか、千文字を書くのがまた大変になってきているので、今日は何も考えずゆるーく書いていこうと思う。たまには、一記事で一つのことではなく、何の脈略も繋がりもないようなただただ日々の思考の断片を載せてみよう。はい。レッツラ。




属性と偏見について

誰かと向き合う時、人間以外の属性から勝手にその人を判断するのはよくない。子供だから云々、女だから男だから、家庭があるから、出身が〇〇だから。そういうのって全部偏見だし、目の前の人がその属性を持っているからと言って、属性の傾向や特徴に当てはまるとは限らない。当たり前か。




性自認について

どうして性自認はあるのに、年齢自認や見た目自認という言葉はないのだろう。特に年齢自認なんて現実とのズレを抱えている人はめちゃくちゃ多いだろう。いつの間にこんな歳になったんだとか。更に人自認と現実のズレもあってもおかしくない。この人である違和感。この人と私は全然違うのに。この人として認識されるのが苦痛、みたいな。




同じようなものを欲し続ける謎について

誰かのファンになるのってこの欲求に支えられていると思う。前のものとどこか違うけど似ている作品、つまりは同じようなものをまた聞いたり見たいと思うから、活動を応援するのではないか?でもなぜ、全く同じものや、全然違うものじゃなくて、「同じような」ものが欲しいと思うんだろう。




共通点と喜びの関係について

なぜ人との共通点を見つけるとうれしくなるのだろうか。私だけじゃなかったから嬉しい?うーんそれもなんで?




善と偽善について

やらない善よりやる偽善っていうけど、やらない善はそもそも善じゃない説。




褒めるという行為について

褒めるって意志の下にある行為なのだろうか。だとしたら味気ないな。心から感動してすごいと口にするときはきっと褒めているなんていう意識は本人にはない。意志によって褒めるのはなんというか心の底から思っているわけではないということにならないか。




悪への対処法について

悪を許すのが善だろうか、裁くのが善だろうか。我々は許せないから悪を裁いているのだろうか。それとも許す「べき」ではないから悪を裁いているのだろうか。はて。




男女と老若について

男なのに〇〇、女なのに〇〇。そういうのってもうほぼタブーなのに、若いのにしっかりしてるね、年配の方なのに考え方が若いですね、は全然許されるし、むしろ喜ばれる。なんで?




幻覚と現実について

本人にしか見えないから幻覚と言われるけど、それでも本人にはそれが見えているのだから、本人にとってはそれが紛れもない現実なんだよな。幻覚と言われてもどうしようもないものはあると思う。




自分の価値について

自分の価値は自分にしか決められない的な記事を昔書いたが、よくよく考えたら自分にも決めるのは無理だろう。だからこそ、自己肯定感が低い人がいる。決められるのなら、みんな価値があるって決めちゃえばいいだけだし、誰も苦労しない。




まとめ

書いててめっちゃ楽しかった。過去に思ったことだから全然頭動かさなくていいし。息抜きとして書くのありだな。いつか気が向いたらまたやりたいと思います。

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