底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

好きとは何かについて考えるつもりだった記事

好きと必要

何かを好きであることと、何かが必要であることは避けがたくピッタリと張り付いている。好きであるならそれを必要とすることからは決して逃れられない。なぜなら、それがあるものを好きと言えるための最低条件だからである。好きではあるけれど別にいらない、と言えるのはその必要が満たされている時以外にはなく、そしてその必要が一度のことで満たされ残りの人生ではもう完全にそれを必要としなくなるというようなことも決して起こりえない。




好きと利用と依存

このことによって、好きと利用、好きと依存の両側の境界線が限りなくぼやける。好きだから必要としているのか、必要を満たしてくれるから好きなのか、ただ好きなだけであるのか、既に寄りかかってしまっているのか。全ては曖昧である。人に対しても物事に対しても、区別するのは至難の業だ。私はブログを好きで書いているのか、何かを得られるからブログを書いているのか、もう書かないとダメな身体なのか。たぶん全部だな。依存が一番強めだけど、利用もあるし、好きもある。どれか一つだけに結論をまとめるのは無理である。




区別ではなくバランス

大切なのは区別ではなく、バランスなのだと思う。好きと必要は引き剥がすことができないのだから、好きには利用の要素と依存の要素が付きまとうことが最初から決まっているのである。ただどちらか一方に傾くと問題が発生しやすいというだけで、利用も依存も含まない好きなどは、そもそも好きとは呼べないのである。




好きの形は必要だけ

利用しているから好きではないとは限らないし、依存はそれだけ好きの気持ちが重いのだということでもない。好きだからこそ利用してしまうこともあるだろうし、好きのない完全な利用による依存も有り得ることである。好きの定義には必要であることしか含まれていないので、どんな風に必要とするのが好きであるのかは人によって全く異なってくるだろう。




以下雑感

あー今日はいつも以上に筆が進まないので、記事の話はこれくらいにして、あとは千文字に達するまでテキトーに書いていこうかな。ここからは暇で付き合ってやってもいいと思う人だけお願いします。いうてあと百五十文字くらいなので、書けることは限られているが、いやーもう本当これだけは言いたい。疲れた。疲れたよ。分からんすぎるんだもん。好きとか必要とか依存とか利用とか、昨日からめちゃくちゃ考えたのに、いざこうして記事にしてみても、全くしっくり来ない。しかも何回も書き直してのこの始末。今日の記事は私の頑張りを供養するというだけの意味しかありません。考えを深めてまたいつかリベンジしたいと思います。

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