底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

自分の書く文章が好きになってきた話

自分の書く文章が好きになってきた話

自分の書く文章がだんだん好きになってきた。以前は書くことだけに注力して、自分の文章を読むというのは誤字脱字チェックの為だけにしていたのだが、最近はじっくりと味わって何度も読み返したりしている。これが自分から出たものなのかと思うと愛おしさのようなものが溢れてくる。私意外といい文章かくやん。上出来やで。

 

 

いや〜振り返ると本当成長したな(誰)

もちろん、まだまだ至らぬところはあるだろうし、読む人によっては「どこが上出来やねん」と思うような内容なのかもしれない。だがそんなのは関係なく、この凸凹としている文章の形が私にとってはなんとも愛くるしいのである。何回か書いて来ていることだが、私のブログの重点は常に「その時の自身の思いや考えの記録」である。だから文章が読みやすいか否かは二の次で、大事なのは私の表現したい事がきちんと表現されているかということである。以前はこれが上手くできていなかった。出来上がった文章を読み返すと「うーんなんか私の言いたかったことと違う」なんてことが実はザラにあったのだ。しかし当時の私にとって「千文字を書く」というのは一大イベントで、既に出来上がった一つの記事を書き直す勇気と根気が全然なかったのである。だからその時期に書いた記事は奇跡的に出来がよかった数記事以外は基本的にどれもこれも読み返したくない、端的に言って黒歴史である。

shikouzakki.hatenablog.com

 

 

自分の書いた記事をじっくり読み返すブロガーが何割いるのか気になる

近頃になって書くことにもすっかり慣れて、書き直すということに臆することが無くなった。違うと思ったらすぐに修正をして、また違うと思ったら更に修正を繰り返している。ここ最近の記事はまぁ何本かふざけているものもあるが、自身の思いや考えを表現するという観点から見ると、八割九割は達成できている自己評価である。だから出来上がった文章の中にきちんと自分がいるような気がして、しみじみと読み返してしまうのだ。

 

 

どうか暖かい目でお願いします

書くことはしなければしないほどよい。このスタンスに関して未だブレはない。ただ私は書かない自分に戻れることはないのだと悟ったのである。覚悟を決めるしかないのだ。私という人間は書くことと切っても切り離せない。それならもういっそのこと、死ぬまでにとびっきりよいものを書いてやろうじゃない、そう思ったのである。あ、「よい」というのは私の基準なので「え、これがよい…?」なんて感想は一切受け付けませんので、その辺事前にご了承ください。本当心折れるので。

shikouzakki.hatenablog.com

 

 

頑張ってくれ私、応援してるわ

最近書くこともすっかり楽しくなっている。目標が決まるとやっぱり自分の成長が日々の喜びになりますね。いつか「こんな傑作どうやって書いたんだ!?」と自分でも驚くような記事が書ける日が来たらいいな。できればヨボヨボのばあさんになるまでに。

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