底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

マイナス感情が面白いという話

プラス感情はそれ以上何も生まない

プラスの感情とマイナスの感情でいえば、私ははるかにマイナスの感情を好む。なぜならプラスは既にプラスである為に何も生み出さないからである。なんというか面白みがないのだ。嬉しさや幸福は簡単に人を満足させる。それを持った瞬間に自分の人生これでよかったんだ、などと思い始める。そういう時の自分は確かに満たされていて気持ち良いがひどくつまらないと思う。



ナカーマ

マイナス感情と決別せずに、それらを作品などに落とし込もうとする人が大好きだ。また作品とまではいかなくても、行き場のない思いをどうにかこうにか自分なりのやり方で吐き出さないと生きていけない常に窒息寸前であるような人も非常に好きだ。なぜなら、端的に私はその同類だからである。自分を満たす気がなく、いや満たされていないという状態にこそ満たされていたいと思うような、ひん曲がっている性格の人はホント最高に面白いね。




自分が存在する=マイナス感情が存在する

生きているだけで孤独で仕方ない、死にたくてしょうがない、虚しくてやってられない。おいおい好きで生まれたわけでもないのにふざけんなよ〜〜みたいな憤りといかに戯れて一生を過ごすか、それが私の人生の面白みである。世間に訴えるもよし、作品に昇華させるもよし、ただ記録として残しておくもよし、一人っきりで存分に味わうもよし。たった一つのルールはそれらを決して改善させないことである。なぜならそれらの思いは私にとっては「自分が存在する」ということと、まるっきり同じ意味だからである。



要するにただの陰キャですという自己紹介

私が他人に興味を持つのも得てしてこの部分だけである。「この人はこうして自分のマイナス感情を楽しんでいるのか」と知れることが他人と関わる上での一番の喜びであるし、そうして生み出された声や作品に私はたいそう魅力を感じる。理由はつまるところ私がひどく陰湿な人間であるからにつきる。だからこそ、人生にほぼプラス感情しかない人、或いはプラス感情を絶対的価値として目指している人は眩しすぎて性に合わないのである。



マイナス感情がなかったら生まれていなかったものが多すぎる

私は別に生まれてきたくなかったとは思っていない。生きていたくないとも思わない。ただ自分の中に確かにあるそういう思いを死ぬまでひたすら味わい尽くしたいだけである。私には幸福になるよりもそっちの方が何十倍も楽しいと感じるのだ。実際、私がマイナス感情が薄い人間であったなら、このブログとて始めることはなかっただろう。今の私にとってそれはひどく恐ろしいことのように感じる。今までの記事は既に私の宝物になっているからである。



明るい記事はこれからもきっとない

当ブログはこれからもブログ主のマイナス感情の提供でお送りいたします。

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