底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

人生にもう遅いはない

1

何か新しいことを始めようという時、もう遅いなと思うことがある。今更始めたって、もういい年だし、散々違う道を歩んできたし、今から始めたところでたかが知れているだろうと、とにかく始めない理由を並べ立ててしまう。しかしもう遅いなんてことが本当に人生にあるのだろうか。それが自分のやりたいことであるのなら、いつからでも、たとえ何にもならなくとも、ただやるだけで価値が生まれるのではないだろうか。今が遅いのなら、今を逃したらもっと遅くなる一方である。過去に戻れない人間にとって、やり始める最も適切な時期とは常に今であろう。まさに思い立ったが吉日なのだ。




2

人生が一度きりであること、もっと強く意識されてもいいのではないかと思う。二度目はないのだ。やり直しは効かない。やりたいことに関して、遅いという概念を人生に持ち込むこと自体野暮なのである。どれだけ遅かろうが、残りの人生から見ればいつだって今が一番早い。遅いと思ってしまうのは、ある意味で幻想である。あの時に始めていれば今の自分はもっとよりよくなっていたはずだと思いたいだけか、或いはあの時に始めなかったのだから今更始めても意味が無いと言って、もうやり出さなくて済むための言い訳にしているのである。




3

未来を決めるとき過去を参考にするまではいいが、過去から方針を決めようとするとおかしなことになってしまう。今までこんなにやってきた、なんてのはただ時間分の積み重ねの意味しか持ち合わせていないのである。そこから、だからこれからも同じようにしてやっていった方がいい、今更変えるべきではないという風な結論は導き出せないのだ。散々やってきたのに変えたら勿体ないという気持ちはよく分かる。せっかくこれだけこの道を歩んできたのだから、変えてしまったら今までが全てが水の泡ではないかと思うのは人としてとても自然なことだ。だがやはりよくよく考えてみてほしい。一度きりの人生を、これまでやってきたというたったそれだけの理由で、これからもずっとそのことに消費し続けるのは勿体ないことではないのだろうか。それが別に大して自分のやりたいこではないのなら尚更である。或いは新たにやりたいことができた時も、それが始めない理由になっているのなら、やはり勿体ないのではないか。過去が無駄になるより未来を無駄にする方がずっとずっと勿体ないことであるはずだ。人生にもう遅いはない。たとえ本当にもう遅くとも、我々には今すぐできることから始めるという以外の選択肢はないのである。