底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

消えた10日と自己認識を改めた話

10日はどこへ消えた

ぬわぁぁぁあ。やらかした。ブログを始めて一年三ヶ月、休んだり遅れたりしたことはあっても一日飛ばしたことなど決して無かったのに、あれれおっかしいぞ〜10日の記事が見当たらない、公開されていないだけじゃなく下書きにもどこにもないぞ、というか10日の記憶さえないぞ。日頃の寝不足が祟って死んだように眠ろうとしたところまでは覚えている…9日の夜に。途中でトイレに起きたりしたのも覚えてる…が気づいたら11日の出勤時間。いやぁぁあ。

 

 

要するにただ普通にこれからも続きます

日付がとぶことなく並んでいることがこのブログのちょっとした誇りで、続ける大きなモチベーションでもあったのに、ついにここで無くしてしまった。私は一体これから何を糧にこのブログを続けていけばいいんだ。何を支えにして執筆活動に向き合っていけばいいんだ。といってやめる気はさらさらないのだけど。たぶんこのブログはもうモチベどうこうとは関係がない。やるとかやらないとか、そういうんじゃなくて、もはや呼吸するのと同じなのだ。昨日はうっかり呼吸するのを忘れてしまった。うっかりして死んでしまったのだ。今日からの私は一回死んだ後の私だ。そうだ、生まれ変わったということにしよう。生まれ変わった私が今日から全く新しいブログを始めるのだ。今までと何ら変わらない全く新しいブログを…。

 

 

なんでもいいんだよ

いい機会をもらった。日付の数字が途絶えたことによって正直ホッとしている面もある。拘りに拘っていものがあっさり無くなって、なんだ別にこれで良かったんだとはっきり思えた。それは拘りを破ったことによるとっさの防衛反応かもしれないが、でも心が穏やかなことだけは事実である。これからは今まで以上にもっと自分の気分に任せてやっていこう。自分の書きたい時に書きたいものを、なければなくてもいい。ないのに書きたいならそれでもいいし、ないから少しも書きたくないというならそれはそれできちんと休めばいい。

 

 

まさに底辺人間らしい

それにしても生活習慣が終わっていると人間って平気で一日半くらいは寝て過ごせるんだなぁ。今までも経験済みだから、今更驚くことでもないのだけど、なんかやっぱり私って終わってるなと改めて認識しました。気づきたくなかったな。底辺といえど、過去の自分との約束くらいは守れると思ってた。他人を大事にできなくとも自分くらいは大事に抱えられると思ってたんだけどな。それも無理だったらしい。いや逆か。過去の自分との約束すら守れないくらいに自分を大事にするしか能がないんだなぁ私は。全く仕方がない奴だ。

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