底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

やる気が低迷している話

やる気がない

一周年目前だというのに、ブログに対するやる気が低迷を極めている。どうしてかと言えば、このままでいいのか?なんて問にすっかり足を搦めとれているからだ。今日までこのブログは記録のていでやってきたが、それはあくまでていに過ぎない。本当のところは全然違う。記録のていにしているのは、記録ならその正誤は「自分の考えなどをそのままに記しているか」に任せられ、「記されている考え自体が正しいのか」については不問になるからだ。要するにただの免罪符で、逃げである。ブログを始めた頃は、それでもいい、書くことをしたいのなら自分にはその道しかないと思っていたから、今までずっとそれで突っ走ってきたわけだけど、ここに来て本格的に迷いが生じてきた。

 

 

プライドがない

本当のところ私がここに書いてきたものにはきちんと正誤があるものも少なくない。そして私はそれらを「正しいと思う」という自身の感覚だけを頼って、ここに正しいものとして書いている。これはどう考えても発信者のあるべき姿から外れている。もっとちゃんと確認したり思考を深めてから書くべきであるのは自明なことだ。しかしそれがめんどくさいし、能力的にも厳しいものがある。つまるところ私の発信者としてのプライドはそんなもので、人間としても中途半端であるのがよく分かる。

 

 

無理

しかし、だからといって今のこの状況を打破できる見当はついていない。正しさをきちんと検討して書いていくことはきっとこれからも無理だろうし、記録という免罪符を捨てられる度胸を備えるのも無理だろうし、書くことをやめるなんてのはもっともっと無理である。このスタイルを維持していくしかないのが、もう目に見えている。

 

 

はぁ

目下の問題はこのやる気の低迷化である。日に日にブログの投稿時間が遅れている、このままでは朝になるのは明後日くらいか。仕事もある身としては本当に困った。こんなんで社会人やれているのが奇跡である。一年もやってきて今更迷うとかある?道が一つしかないのに迷うとかある?どう考えても突き進むしかないだろう。ただ覚悟が決まらないだけじゃない。自分が不甲斐ないよ全く。書かれたものの価値を自分が信じられていない。やる気のなさはそのためだろうと思う。私にとって価値があるのは書くというそのことだけあって、書かれた内容にはあまり拘りを持てない。しかし、持てないくせに気になるところはしっかり気になるから、矛盾でしんどくなる。はぁ。これからどうしたものか。どうしたらいいのやら。

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