底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

奇跡だから人生を悪くないなと思える

悪くない人生

私はこのまま死ぬんだろうか。最期まで今となんにも変わらないで人生の幕を閉じるのだろうか。なんとなくそんな気がする。だって、そうだろうなと既に自分で思っているから。それでも別に悪くないなと思えているから。あと何十年か何年か何ヶ月か何日かは分からないけれど、今のまま死ねるのなら悪くないなと思う。きっとそれなりにいい人生だったなと呟きながら死ぬことができる。後悔はたくさんあるし、生きていたって仕方がないと感じる瞬間もいくつも経験してきたけれど、それでもやっぱり悪くないなと思う。たぶんそう思う根本は人生のあり方とはあまり関係がないんだ。どんな人生を送ってきたかよりも、人生があったというそのことが私にそう思わせているから。この世界に生まれてくること、この世界を覗くことができたこと、それだけでとんでもないと思うのだ。

 

 

不思議は隠れている

世界に生まれてくることのその不思議さはなぜだか世の中からはほとんど綺麗に隠されている。意図的なのかと思うほど本当綺麗に。でもたぶんそうじゃない。人間の一人としては、それは大した不思議ではないからだ。だって世の中に人間は78億人もいる。既に死んだ人も含めればもっと多い。自分はその中のとるに足らない一匹、だから別に不思議なことなんてない。そういう平板的な捉え方をすると、どうしても不思議は隠れてしまう。

 

 

答えになっていない

例えば、どうして自分は生まれてきたのかという問いは、ほとんどの場合、親が性行為をしたから、或いは精子の頃の自分が一生懸命に泳いだから、などと言ってそれで簡単に片付けられる。でも、それは本当は全然答えにはなっていない。だって、自分の親は自分が生まれる前から自分の親だったんじゃない。自分が生まれることによって「初めて」自分の親になったんだ。性行為して生まれきたその子供が「たまたま」自分だったからこそ、その因果が成立しているのだ。精子の場合もこれと同じ。

 

 

奇跡だから

自分がどうして生まれてきたのかは、この世界の中のことでは絶対に説明できない。だって今自分であるこの人は端的に自分でなくてもよかった。実際、人類が誕生してから自分が生まれるまでの長い長い間に存在した人間は全て自分じゃなかった。そして現に存在している78億人の自分を除いた残り全ても自分じゃない。もちろんこれから生まれてくるたくさんの人の中にだって自分はいないはずだ。それなら、今自分であるこの人もただこの人であるだけで自分でなくてよかったはずだ。でも、そうならずに自分なんていう変なものが媚びりついた。なぜだか、数十年だけ世界を覗く機会を与えられた。偏に奇跡だ。そんなとんでもない不思議を味わえたから、私は今の人生も悪くないなと思える。

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