底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

リズムがいい文章を書きたい

1

文章は内容よりもリズムだと最近よく思う。少なくとも私が書く時はそうである。内容ももちろん大事であるけれど、それを乗せる文章のリズムが良くないと端的に読む気が失せる。私が文章を書く時によく考えるのは例えば「ここに五文字くらいの響きの単語を入れたい」とか「ここの語尾はuの母音で終わりたくない」とか「こことここで単語を繰り返すと面白いな」とかそういうことである。読んでいてリズムが途切れるような、引っかかるような文章には極力したくない。リズムがいいとその内容もすっと頭に入ってくる。私はそんな文章が書ける人になりたい。もちろん内容が綿密で正しい文章を書ける人にも、憧れはある。できれば両方を上手く兼ね備えるのが、今のところの理想だ。

 

 

2

私は普段哲学書をよく読むのだが、哲学書というものは大変失礼ではあるが、本当にリズムが悪い。内容が綿密で正しい文章に全振りしているからか、読みにくいったらありゃしない。こういう文章はきっとそれでも真実を追求せずにはいられない変態に向けて書かれているのであろう。普通の人が読むにはとことん骨が折れる。このブログはそういう変態に向けて書いているのではない。ネットに無料で公開している以上は、不特定多数のありとあるゆる属性を持つ読者を想定している。だからやはり、私の興味の世界へと誘えるような、そんな文章にしていきたい。

 

 

3

文章は読む人にとっては頭の中で鳴る音の連続だ。それを心地の良いものにするのは書く人にしかできない。経験則だが、その心地良さに乗ってこそ人は理解の扉を開くことができる。きっと言葉の意味よりも言葉の持つ音の方が原始的に人間の何かに訴えかけるのだと思う。

 

 

4

私は音楽をつくれない。そういう才能もなければ、つくろうという気力も湧かない。世の中にあるどんな音楽も、私がつくり出せるものよりきっと圧倒的に素晴らしいし、もはやそれらを享受するだけで十分満ち足りるからだ。でも文章は違う。世の中のどんな文章を読んでも、私にもまだ書ける余地があると思えてならない。私にしか書けないことがきっとあるし、それを書くだけの価値もあると思えてならない。人様の文章を読むだけでは満ち足りない何かが延々と自分の中でくすぶり続けているのである。それをひとりでも多くの人にお届けしたい、ひとりでも多くの人に読んでもらいたい。だからやはり読みやすさが本当に重要だ。頭でする理解よりも先に、勝手に読んでいて止まらなくなるような、つい身体が乗りたくなるような、そんなリズムがいい文章を私は書きたい。

f:id:kabiru8731:20240509234253j:image