底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

ブログを続けていきましょう

1

気まぐれに戻ってきたのに思いのほか記事が続いている。やる気なんて全然ないのだけど、ついブログを開いてしまう。きっと、私の生活にまた何かが強く不足し始めたのだと思う。何かは分からないのだけど、ただ生きるだけでは耐えきれぬ焦燥感と不安感が私に強く襲いかかっている。このまま死にたくないなという思いを吐露するために、ここに書きに来ているのだろう。一体どうすれば死を乗り越えられる、その方法を模索に、ここに書き来ているのだろう。依然私は全く死を解決できないまま、相変わらずの毎日を過ごしている。

 

 

2

死の問題はきっと死ぬまで解決できない。これはもうどう考えてもそうである。でも私はそれを悟ることができない。その事実を認められずに、延々とジタバタもがいている。だってやっぱり死にたくないのだもの。本当に死にたくない。死を思うだけで気が気ではいられないくらいに、本当に本当に死にたくない。でもやっぱりいつかは死んでしまう。数十年先か、数年先か、数ヶ月数日先かは分からないけれど、死ぬことだけははっきりしている。あーもうどうしたらいい。残された時間でできることをするしかない。そんなことは分かっている。でもやるせない思いは消せない。こんなんじゃなくて、もっと根本的に死なないで済む方法が欲しい。いつかくる死のために腹を括るなんて糞食らえだ。なんで死なないといけないの。ホント糞。

 

 

3

はぁスッキリした。やっぱりどうにもならないことは書いて供養するに限るな。文章は私が死んでも世界に残る。それが少しばかり救いになる。分からないことだらけの死の中で、自分ができることだけはやっぱりいつもはっきりしている。しっかり見ましょう。そしてしっかり考え、書きましょう。どんな時も自分の人生を正確に捉え、人生を丸ごと文章にぶちこんでやるという意気込みの元、全てを実行していきましょう。

 

 

4

書くことで人生の不足はきっと補えない。書くことはむしろ不足の言語化なのであるから、より一層不足しているのだと自覚するだけである。だけどそれはそれで一つの形だと思う。自分自身のどこが不足しているのか、それを知っていけばこそ、より満足に近づくことができる。死がある限り人生に満足しきることはありえないけれど、それでも少しでも満足に向かって歩みを進めることは無駄ではないはずだ。少なくともそうしないで死ぬよりは、満足な人生になるのは確実であるから。やれることを淡々と、毎日地道に積み重ねを。今日も頑張ったと言って眠りにつける日々を。

f:id:kabiru8731:20240510232510j:image