底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

ブログを書く楽しさ

ブログを書く楽しさその一

ブログを書いていて楽しいと思うのは「自分はこんな文章も書けたのか」と驚ける瞬間である。私は基本的に自分のことをポンコツと思っているし実際にポンコツでもあるので、自信などというものは少しも持っていない。挑戦しても失敗するだけと思うから、何事においても凹凸のない平坦な道を選ぶ。頼まれていないことは正解を当てられる気がしないのでまずやらないし、頼まれたことでさえ果たして自分に務まるのかといつも不安になる。ブログを始める時も続けられるかしら、きちんと書けるかしらと心配でたまらなかった。だが、いざブログを始めてみるとなんとなく毎日書けた。そして、だいたい十記事に一つくらいの割合で、「え?めっちゃ素敵やん」と思えるような記事ができる。最近はもっとその割合が高い。こんな言葉自分のどこに眠っていたのか、全くもって分からないような記事が私の手によって仕上げられている。そのことが私にとってはひどく面白い。でも、なぜそのようなことができるのか、私にはまるきり分からない。だから結局これだけ書いてきても(今日で二百記事)、それは私の自信には繋がっていない。しかし、なぜかそういう体験がまたできるだろうとは確信している。たぶん書くことの方は信じられるからかな。

 

 

ブログを書く楽しさその二

こんな文章が書けたのか!に加えて、書くことはもう一つ驚きを私にもたらしてくれる。それは「へー私ってこんな風に物事を考えているのか」ということである。自分の考えを私は普段あまり意識しない。常に目の前の関心事を考えるのが好きであるし、そうであるが故に大抵の思考には結論がない。どうなんだろうという疑問だけで停滞しているものがほとんどである。でも一つの記事を執筆するにあたっては、やはりそれでは困る。「さぁどうでしょうね」みたいな骨がない記事は読む方は言わずもがな、自分で書くのもたいそうつまらない。だから、基本的には結論を用意する心構えで普段は書いている。すると書いているうちに、なかったはずの結論がどこからともなく湧いて出てくる。自分で書いた文章を読んで自分の考えを知る。ひどくあべこべな話であるが、それを実際に私は今まで何度も経験してきた。本当に不思議で愉快なことである。

 

 

書いた後が楽しくて書いてる

書くことそれ自体は私のやりたいことであるが、書いている最中は、正直言ってそんなに楽しくない。言葉を選ぶのも内容を考えるのも、端的に疲れるからである。でもだからこそ、仕上げた時の喜びは大きい。しかも後には「読み返せる」というご褒美が待っていて、運がよければ自分に驚くことさえできる!くぅ〜たまんねぇなブログを書くのはよ〜!

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