底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

忌々しい過去との付き合い方

本当なんの心配してるんだろう

月に一度休むという宣言をしてから、私はやけにソワソワしている。月に一度休むというのは別に、月に一度しか休めないという意味ではないのだが、どうやら私はそのように解釈してしまっているらしい。「今月はもう休んでしまったし、今日書けなかったらどうしよう…」そんな憂いばかりが浮かんでくる。別に誰かのために書いているのではないし、書かなくても何がどうなるわけでもないのに、一体私は何を心配しているのやら。

 

 

過去は忌々しい

一ヶ月前の自分が決めた一日一記事にこうも縛られるとは思わなかった。過去の自分というのは忌々しいな。一度決めたことは決めたが故に守ると守らないの二択が与えられてしまう。書かないはこの場合守らないと同義になる、決めたことの前をただ素通りするということはもう許されない。守る以外の行為は全て裏切りになる。加えて約束をした相手は過去の自分であるから「あの約束なかったことにできんか?」なんて交渉も一切無駄である。過去は決してこちらの呼びかけには応じてくれない。だから私はいつも一方的に過去に侵蝕され、過去によって呪われる。過去はどうしたら振り解けるのだろう。たぶん人間をやめなくてはいけないな。歴史を持たない人などいはしない、過去こそがその人ををその人たらしめるのだから。過去だけが自分が何者かを教えてくれる。過去を持たなければ、人間は簡単に狂うだろう。自分がどこの誰かを知らないということに人は絶対に耐えられない。

 

 

過去に律儀になるな

では、振りほどくことのできない過去とはどう付き合っていくのがいいのだろう。変えることも忘れることもできない過去たちとの適切な距離感とはどのようなものなのか。私はいまいち掴みきれていない。しかし、こちらの呼びかけはガン無視なくせに、ただ縛り付けてくるだけの過去に対して、そもそも律儀に適切な距離など考える必要があるのだろうか?自分を蝕んでくるだけの過去に善人ヅラして何を得られるというのだ。

 

 

できてないけどね

私は徹底的に過去に抗いたい。過去の自分が決めたことが今も自分のやりたいことなのか、今の自分にとっても価値があるのか、常に考えたい。人間である以上過去を参照しないということはできないが、それが今の自分にとっても必要かどうかは決められる。過去を裏切るのは悪いことではない、一貫性がないことも人間の常である。それに保とうとしてやっと保っていられる一貫性など最初から捨てるべきだ。書けなくてもいいじゃないか。過去の自分なんてクソ喰らえ。(とかいって結局今日もしっかり書いてるんですけどね…)

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