底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

書くことについての切実な悩み(いつもの)

いい選択だったと思う

毎日書くということに縛られて、自分が納得いかない記事でも消化試合のように載せていくのはもうしたくなかったので、昨日の記事を下げることにした。よくやった!と自画自賛したい。

 

 

うーんどうするか

別に自分のブログに文章のクオリティなどは求めていない、ただ「記録」であればそれでよい。だが毎日書いていると、どうやら私にはそれすら厳しいらしい。端的に記録ではなくなってしまうのだ。自分の絞りカスを言葉にすることにこそ、このブログは私にとって価値がある。しかし絞っても何も出てこない時は、やはり存在する。寝不足や労働による疲労などがたたって、頭が真っ白で日常を送ることが限界だ!という日が一ヶ月のうち必ず何日は生じてしまうのである。その何日をどうするか、それが目下私に与えられている課題である。①ストックを作る。②毎日更新を諦める。この二つの選択肢の前で私はどちらも嫌だと駄々をこねている。②の毎日更新を諦めたくないのは言わずもがな、①のストックを作るというのもできればしたくない。私の記事にはためて置いておく価値がないからだ。記録なのだから即日でないと意味がないのである。それに性格上もためることに向いていない。何においても備えるということが壊滅的にできない人間なのである。

 

 

プライドに守られているのか、プライドを守っているのか、プライドを守ることでプライドに守られているのか

さて、どうしたものか。ぶっちゃけ毎日更新を諦めば全てうまくいくのだけど、プライドがそれを許さない。プライドはいつも私の邪魔ばかりする。それなのに一丁前にあなたを守っていると言いたげな顔をこちらに向けてくる。むしろいつもプライドを守っているのは私の方じゃないか。なぜ守らなきゃならんのだ、なんて問を問う余地すら与えてくれない。プライドは私にとって、なぜか端的に守るべきものなのである。

 

 

これからも続くのだろうな

ブログに行き詰まる度、このような切実な悩み記事を書いている気がする。書くことに拘りすぎていることも否めないけれども、ブログと距離をとるとか、そんなことはもう私にはできないのだから致し方ない。書くことにプライドを見出してしまった人間の末路である。

 

 

プライドの為に何を捨てるか

余談だが昨日のブログの何が気に入らなかったかというと、なぜかとても偉そうだったのである。説教くさくて、自分は正しいんだ!という主張が文全体から滲み出ていた。その気持ち悪さに耐えられなかった。どう見てもただ労働の疲れからくるイライラを文章に発散させているだけであった。自分で読んでいて恥ずかしくたまらなかったのだ。感情発散の為にブログを使いたくない。私にとってのブログの価値を保つための小さいが大切なプライドである。

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