底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

悪いことはなぜしてはいけないのだろう

なぜだろう

端的に悪いことはなぜしてはいけないのだろうか。「悪いことだから」という堂々巡りな答えを避ける形で考えてみたい。一つ、他人に危害を加えているから。たぶん世間的にはこれが一番の理由であろう。誰かが傷つくから迷惑するから、悪いことをしてはいけない。一見尤もらしい答えのように思える。しかし「悪いこと」という言葉には既に「他人に危害を加える」の意味が含まれているのではないだろうか。むしろ、他人に危害が生まれるからこそ、人はあることを悪いことと評するはずである。だから、この理由は結局「悪いことをしてはいけないのはそれが悪いことだから」という意味でしかなく、やはり堂々巡りからは抜け出せていないのである。二つ、自分がされたら嫌だから。これは明らかに理由としておかしい。人はそれぞれで全然違うのだから、私が嫌だと思っていることは他人にとってはそうではないかもしれないし、その逆も普通にあり得る。それに仮に自分の嫌がることと他人の嫌がることが完全に同じであったとしても、なぜ自分がされたら嫌だからという理由で、それを他人にしてはいけないのだろうかと依然問うことができる。




いけないとは何か

堂々巡りを避けるためには、まず「してはいけない」の意味から考える必要がある。「いけない」とは禁止の意味であるが、意志をもつ人間にとって禁止が有効性を持つのは極めて難しいことである。大抵の場合人はその禁止されているところの行為ができないのではなく、逆らう理由を持っていないから守っているに過ぎない。人にとってみれば禁止の前にさえ、守るか守らないかの二択が開かれているのだ。そのことを考慮に入れると、問いは更に「仮に悪いことをしてはいけないのだとしても、なぜそのいけないに従う必要があるのか」という形に変形し得る。ここまでくると、もうどうしたらのいいのかさっぱり分からんな。ダレカタスケテ。




理由にはなってないけども

強いて一つの理由を挙げるなら、そもそも人は「なぜ悪いことをした方がいいのか」みたいな問を決してたてたりしない、絶対に「なぜ悪いことをしてはいけないのか」のように、「悪い」と「いけない」のセットでしか問をたてないのである。それはつまり既に直感として悪いことはしてはいけない気がしているからであろう。いけない気がするからしてはいけない。それに尽きるのかもしれない。




なぜだろう

悪いことはしてはいけない気がするからしてはいけない。これは立派な感性であり、実際そう思う人が圧倒的多数であるからこそ、世の中は成り立っているのであろう。しかしそれはやはり不思議なことである。端的に悪いことはなぜしてはいけないのだろうか。

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