底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

甘くすべきだけど厳しくしたい

本文とは全く関係ない章のタイトルをつけるのにハマっています

自分に厳しくする、自分に甘くする。一体どちらの方が人生の態度として正しいのだろうか。人や物事によって違うだろ、というツッコミは一旦しまっていただいて、もしも一概に言えるなら、という想定で考えてみたい。

 

 

皆様今日も一日おつかれさまです

自分に厳しくする、それはあらゆる「すべき」を自分に強いることである。自分の「したい」「したくない」を力づくで押さえ込み、理性によって命令されている「すべき」を忠実に叶える。つまりは自分より大事なものがあり、自己犠牲をしてでもそれを遂行する状態のことである。反対に自分に甘くするとは、「すべき」をどこまでも放棄し自分の「したい」を何よりも優先する状態のことである。他の一切のことを犠牲に、ただ自分の欲望を叶える為だけに行動するのである。

 

 

チンジャオロースが食べたい

自分に厳しくした方がいいのか、甘くした方がいいのかという問は要するに、事実としてこの世に自分より大切なものがあるのか否かに左右される。もしあるなら厳しくした方がいいのだし、ないのなら特段厳しくする理由はないので甘いままでいいのである。

 

 

仕事あと二週間で終わりか…

自分がいなければ、世界は存在しない"も同然"なのだから、その意味で言えばきっと自分より大切なものなどこの世にはない。世界を認識する私がいてこそ、世界は"私にとって"存在するのである。この世が番組なら、私はテレビのモニターである。テレビのモニターを置いていない家にとって何かの番組が価値を持つはずはないであろう。

 

 

涼しいのか暑いのかよく分からい気温

しかし、自分という存在は明らかに世界の中の一人の登場人物でもある。誰しも自分が生まれる前に世界があったこと、自分が死んだ後にも世界があることを信じているし、実際そうなのである。私はテレビのモニターであるだけでなく、ひとりの役者としてテレビ番組にも出演しているのだ。その意味で、自分が世界からどんな役柄を与えられているのかを知ること、そしてそれをきちんと演じてみせることは義務とも言える。人は役を演じることを通してのみ、自分がモニターであることに気づけるのだから。

 

 

最近当日投稿間に合わなくて毎日一日遅れという毎日投稿をしています

自分より大事なものはあると言えばあるし、ないと言えばない。事実はいつだってはっきりとした答えをくれない。事実さえあやふやなのだから結局は個人の好きにしたらいい、という結論に落ち着いてもいいのかもしれない。自分に甘かろうが、厳しかろうが、 人はいずれ死ぬ。そう考えると「すべき」も「したい」も、他の全てのことも儚く散っていく。だがそれをわかっていても、私は「すべき」と「したい」のどちらを優先「すべき」かと問うことを「し(てい)たい」のである。

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