底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

「本の状態が悪いから値段がつきません」え?

逆に今まで運が良かっただけ説はある

某有名古本屋チェーン店にて本を二十冊ほど売ってきた。そのお金で久々に少しだけ贅沢なランチをしようと思っていたら、手元に来たのはわずか六百五十円であった。いや牛丼の並盛に豚汁をつけられるくらいではあるので昼食代としては申し分ないのだが、何度もそのお店に本を売ってきた経験上、勝手にもっと高く売れると思っていた。今回は今までと何が違ったのだろうとその場で考えていたら、店員さんの一言ですぐに答えが分かった。店員さんは私にこう言ったのである。「この五冊は状態が悪いので値段がつきませんでした。処分致しますか?」

 

 

ショッキングペンペン

私はとても驚いた。「え!?」と心の中で思ったつもりであるが、もしかしたら普通に声に出ていたかもしれない。もちろん初めてそんなことを言われたのも驚きの理由ではあるが、私が酷く驚いたのは本の保存状態で値段をつけるというその判断方法である。古くて状態が悪いだけで本に値段がつかない。なぜ?????と端的に疑問に思ったのだ。これがアニメキャラのフィギュアとかアイドルのポスターとかなら分かる。だってその場合保存状態が悪いことと質が悪いこととはほぼイコールなのであろう。それらは観賞されること飾られることが主な楽しまれ方なのだから。しかし本とは読まれる為にあるのだろう。ページをめくるだけでボロボロになって本の形状すら保てないとか、よく分からんきったねぇシミが大量についているとかそのくらい状態が悪いならまだ分かるが、折れや少しの汚れがある程度で値段がつかないって私の価値観からすると全く理解できないな。

 

 

自分に必要な本だけを買うという能力がない

私が本を買う時たいていは前書きと目次にざっくり目を通すだけなので、家に帰って本編を見てみたらあらびっくり知りたかったことと全然違うし、何を言っているのかさっぱり分からないということが一定の頻度で起きる。それでもそういう買い方をやめないのは、慎重に買うと自分が賛同できる読み心地のいいものに偏ってしまい、新しい考えや知識を仕入れられないからである。要するに自分に必要な本だけを見極めて買うという能力が私にはないのだ。だから私にとって本を売るということは自分の至らなさによって不当に買われたそれらの本たちに再び居場所を与えるための償い行為なのである。

 

 

胸に誓います

今回初めてそれができなかった為に、私は大変にしょげている。もちろん今考えれば寄付するなど他にいくらでも方法はあるのだが、その時の私は「ジョウタイガワルイ、ネダンガツカナイ」という言葉にすっかり頭が占領されていて「処分致しますか?」の一言に思わず「ハイ…」と応えてしまったのだ。この日食べた牛丼と豚汁の味を私は一生忘れない…(遠い目)。

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